サバーイ・テ?(しあわせ?)
 カンボジアで考えたこと
第3回 犬まで幸せになった村

サバーイ・テ?(しあわせ?)
入江真美
Discipleship Training Centre在学中(シンガポール)
元国際飢餓対策機構海外駐在スタッフ
単立 シオンの群れ教会会員

 世界里親会プログラムが働いていた十六の村の中にトロピアンルークという村があります。FHIがプロジェクトを始めた九六年頃は、周辺の村々と同じく、乾いた田んぼから得られる米の収穫率は十分ではなく、四ヶ月から半年分の食糧が足りない状況でした。

 物質的な貧しさだけではなく、ポルポト時代以降、人々は互いに信頼することを忘れ、ギャンブルと喧嘩、村人同士による窃盗が絶えず、村の犬たちも一晩中吠えているというような状況でした。

 そんな中でギャンブルを仕切っていたリーダーの一人サムットさんがキリストに出会い、変えられました。村の人たちを愛し、村の家庭を訪問するようになったのです。彼の変化を見て人々はその信じたものに興味を持ちました。今では彼の家のすぐ横に村の人たちで協力して建てた小さな教会があり、大人三十人ほどが毎週礼拝を守っています。

 人々の心に起こった変化は、貧しい現実にも変化をもたらし始めました。人々は村人同士、またFHIと協力して作業をし、田んぼは以前に比べてずいぶんと青々してきました。盗みもなくなり、犬も一晩中吠えている必要がなくなりよく眠れるので、犬までも健康に肥えてきたのです。それまでは支援を受けるばかりの存在であった彼らですが、今では村の中で自主的に助け合いをおこなったり、周辺の人々に愛を分け与えるように成長してきています。

トロピアンルーク村ではリーダーのサムットさんがキリストを受け入れたことで多くの変化が起こった

仕えるリーダー

 サムットさんはいつも自分たちの村を「犬まで幸せになった村」と表現して、喜んでその証しをしています。先日、彼は村のリーダーとして人々から選ばれましたが、教会のリーダーとして奉仕することに時間を割きたいということで、村のリーダーの役割を辞退しました。もちろん正規の神学教育など受けたことの無いサムットさんですが、FHIが提供している教会リーダーの勉強会に熱心に参加し、毎週メッセージを取り次いでいます。世界里親会プログラムの子どもたちのためのクリスマス会、さまざまな行事のためにも本当に献身的に奉仕をしています。涼しい席に座ってタバコをふかしながら人々に給仕されるのを待っている典型的なカンボジアのリーダーたちと比較すると、いつも動き回って自ら食事を運んできてくれるサムットさんは、本当の仕えるリーダーなのだと会うたびに思わされました。

 私が日本に戻る前に村を訪問すると、サムットさんは「どうか私の代わりに、日本の教会の皆さんにくれぐれも感謝を伝えてください」と言ってきました。「会ったこともない日本の方々が、カンボジアの私たちと私たちの村を愛してくださり、人を送り、お金を送って、祈ってくださっているから、私たちの村はここまで変化することができました。日本の皆さんのために神様の祝福を祈っていますよ」

 農業収穫率が上がったり、牛を手に入れられたり、井戸ができたり、子どもたちの就学率が向上したり、そのような物質的な、目に見える変化を貧しい村にもたらすため私たちは奉仕しています。しかし、現地の方の内面的な変化、心に与えられる希望が、さらに大きな大切な変化であるということをサムットさんとその教会の人々に出会う時、思います。

永遠の命を生きている

 神様に出会って起こる内なる変化、自分たちは見捨てられているのではなく、心配され、愛されている存在なのだと彼らが気付くことが、経済的、物質的、外面的な変化が継続していく動機となります。FHIがその村から去る時がきても、現地の人たちの心に起こった変化はなくなることはありません。彼らは、今度は自分たちでその全人的な変化を経験しつづけ、自立した歩みをしていってくれると信じています。

 カンボジア滞在中に私が得た多くの恵みのうち、もっとも大きなものの一つは、この「主に出会って変わる人、村をこの目で見せていただけた」ということです。イエス様に個人的に出会うことは、私たちの歩みに劇的な変化をもたらします。私たちに与えられた「永遠の命」が、単に死後に与えられる天国での神様との交わりだけではなく、この現実世界で生きている時にも、人間同士の関係の回復、他の被造物や環境との関係の回復という形で、私たちは既に「永遠の命」を生きることを許されているのだという事を改めて、実感させられました。