イエスさまに出会った少年の物語 第3話 逃げ出した群衆

橘由喜

〈前号までのあらすじ・ひとりの老人が六十年前の出来事を語り出した。当時九歳だった老人のイエスのために作った二匹の魚と五つのパンの弁当が、イエスを追いかけてきた五千人以上の群衆の前でイエスの手のひらから溢れだした〉

 パンを受け取った群集は、輪を作り、感謝の祈りをささげてから食べはじめた。わたしももちろん食べた。しかし、わたしがもってきたパンとは格段の違いじゃった。ほんのり甘くてな、柔らかいんじゃ。まだぬくもりがあってな。うまかった。ほんにうまかった。わたしは十個ぐらい食べた気がする。

 気がついたら魚も目の前に置かれておった。その魚もな、骨までやわらかでな。子どもたちもお年寄りもこれならいくらでも食べられたろうな。イエス様は料理もお上手じゃ。

 それからイエス様は満腹した群集をやさしく見回しながら、お弟子さんたちに次の指示を与えられたのじゃ。

 「あまったパン切れを一つも無駄に捨てないように集めなさい」

 見渡すと、まるでモーセの時代、天からマナを降らせて何十万人ものイスラエルの民を養われたような光景が、目に飛び込んできたのじゃ。広い草原に白いパンが無数に見える。ある者は、腰の手ぬぐいにそれを包み、ある者は、頭の布をはずしてそっと包んでおった。だがそれは、うまかったから持って帰ろうと言うのではなく、イエス様のお手の中から生まれたパンを無駄にしてはならないという心づかいじゃったとわたしは思う。群集はすでに心までも満ち足りておったからじゃ。

 だから、イエス様の「無駄にしないように集めなさい」とのお言葉を待っていたかのように、お弟子さんたちが籠を持ってまわりはじめると、誰もが手にあるパンを大切にそっとその中に収めていったのじゃ。隠して持って帰ろうなどというケチな考えをする者はひとりもおらんかった。イエス様のものをイエス様に感謝してお返しする、そんな気持だった。みるみるうちに十二人のお弟子さんがもっていた十二の籠はいっぱいになり、溢れそうであったよ。


 パンの奇蹟の翌日、わたしは、イエス様がちょっと離れたカペナウムに来られたことを聞いた。本来ならわたしは家の仕事をしなければならなかったのじゃが、気が急いて仕事も手につかない。母親にまた暇をもらってすっとんで行ったのじゃ。

 群集の多くは明らかにパンを求めて押しかけてきた者たちだったな。昨日の感動はどこへやら、やっぱり貧しさは人の心も貧しくしてしまうのかのう。そんな群集にイエス様のお言葉は厳しかったわ。

 「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります」

 群集は、イエス様の真意などわからず、パンという言葉に飛びついてわめいた。

 「主よ。そのパンをいつも私たちにください」

 するとイエス様が、思いがけない言葉をおっしゃったんじゃ。

 「わたしがいのちのパンです。わたしに来るものは決して餓えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」

 凛としたお声でそうおっしゃった。確かにそうおしゃった。わたしは震えた。しかし、回りにいたユダヤ人は互いに気味悪そうにつぶやきだした。

 「なに言ってるんだ。あれは大工のヨセフの息子だ。わしはその父親も母親も知っているぞ。わたしはパンだと。気が狂ったんじゃないか」

 悲しかったのう。昨日、あふれるようなパンの奇蹟を味わった同じ人間がそんなことを言うんじゃからのう。

 イエス様は、そんな群集を見渡しながら、ゆっくりとわたしの近くにまで来られた。わたしは万感の思いをもってイエス様を見つめた。なんとイエス様は、わたしの肩を抱き寄せてしっかりと抱いてくださった。わたしは込み上げるものを押さえることができずイエス様にしがみついたわ。

 そのわたしを抱き寄せながらイエス様のお声がわたしの頭の上で聞こえた。

 「互いにつぶやくのはやめなさい。わたしを遣わした父が引き寄せないかぎり、だれもわたしのところにくることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしは、天から下ってきた生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。わたしが与えようとするパンは、世のいのちのためのわたしの肉です」

 イエス様は、ご自分のお体をパンだといわれたのじゃ。どういうことじゃ。わたしは身震いした。理解はできなかった。しかし、これはただ事ではない。イエス様は重大なことを言われているのだ、という予感はした。なぜなら、人々が顔をしかめるような言葉を言いながらも、イエス様のまなざしは、あいかわらず澄み、やさしかったからじゃ。


 人々は、驚き怪しんで口々に非難した。そればかりではない。あれほどイエス様を慕って夜となく昼となく追い掛け回した群集が、気味悪そうに互いにつぶやき会いながら離れ去っていったのじゃ。

 イエス様は、去り行く人々を目で追いながら、まだご自分を遠巻きにしている群集に、両手を広げてさらに言われた。よく憶えておる。

 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます」

 この言葉に、残っていた人々は、ぞっとして後ずさりをはじめた。弟子にしてくれと押しかけてきた人々までもが、我先にと逃げ出した。中には叫び声をあげて走り出す者もおった。

 そして後には、最初から付き従っていた十二弟子だけがうずくまって半分脅えたようにイエス様を見上げていた。わたしはいつまでもイエス様といたかったが、弟子の一人であるユダという男が、去れ、というふうに手で合図をしたので、そっとイエス様の手を離した。このユダがイエス様を裏切った弟子だということを後でわたしは知って悲しかったなあ。

 立ち去るわたしに、イエス様は、微笑まれて軽く手を振られたばかりか、やさしく声をかけてくださったよ。

 「気をつけてお帰り。おいしいお弁当をありがとう」

 わたしは涙ぐみそうになりながら元気そうに手をふって一目散に駆け出した。実はこれがお元気なイエス様を見た最後になったんじゃ。ああ、次にお会いしたイエス様は、なんと十字架にかかられておってな…。


 少し陽が陰ってきたが、もうしばらく話してみようかのう。夕暮れは人をやさしく包んでくれるのかもしれんなあ。

 つづく