わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第12回 抱撲- その打たれし傷によって

奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

 「友人が亡くなりました。香典代を貸してもらえませんか」。数カ月前に自立されたお母さんだった。ホームレスになるとあらゆる人間関係が断ち切られる。葬儀は失われた関係を紡ぎ直すチャンスとなる。「友達と再会してください」とお金を貸した。数日後再び訪ねてこられた。「従兄が死んだんです。香典を……」。なんだかおかしい、だが親戚との縁が戻ると思い用立てた。さらに数日後「昨晩娘婿が亡くなったの、今度は一万円貸して」。さすがの私も「いくらなんでも死に過ぎです」と本人の前で娘さんに電話をした。「今朝主人は会社に行きました」とのこと。電話を切りそのことを告げると、お母さんは落ち払いこう仰った。「うちの娘はなんでそんなウソをつくのかねえ」。次の瞬間、私は机を叩いて怒鳴っていた。

「ええ加減にせえ!」

このお母さんはそんな風に生きてこられた。家族が再会できないでいるのはそのためだった。日本は「自己責任」に次いで「身内の責任」が問われる社会だ。孤立無援の中、家族は途方に暮れる。「身内の責任」で済ます社会は決して手伝わない。結果、愛するとは赦すことであるにも関わらず、愛していたはずの身内が「絶対赦せない」と言いだす。お母さんは、その後がんになって亡くなられた。私たちで葬儀をすることになった。やはり家族は「できない」とのことだった。野宿時代からの仲間など大勢が詰めかけた。花を手向ける彼らは、口ぐちにこう言っていた。「この人にはだまされた」「金、返ってこんかったなあ……」。しかし、皆泣いていた。「ありがとう。また会おうな」との声が出棺を見送る。

「信頼できないと家族になれないか」は難しい問いだ。確かに裏切られ続けた家族は「赦せない」と言う。葬儀に参加した者も「少々」お母さんに裏切られていた。「少々」だったから耐えられただけかも知れない。しかし皆、裏切られ傷つくことでこのお母さんを愛していた。

愛するとはその人のために傷つくことだ。主イエスの愛は、弟子の裏切りによってより鮮明となる。十字架は、弟子たちのため、いや私のために主が傷つかれた事実を示す。イエスの傷は私への愛。私たちが運営する施設を「抱樸館」と名付けた。数年前、イエスを想いその「由来」を書いた。

【抱樸館(ほうぼくかん)由来】

みんな抱かれていた。眠っているに過ぎなかった。泣いていただけだった。これといった特技もなく力もなかった。重みのままに身を委ね、ただ抱かれていた。それでよかった。人は、そうしてはじまったのだ。ここは再びはじまる場所。傷つき、疲れた人々が今一度抱かれる場所││抱樸館。人生の旅の終わり。人は同じところへ戻ってくる。抱かれる場所へ。人は、最期に誰かに抱かれて逝かねばなるまい。ここは終焉の地。人がはじめにもどる地││抱樸館。
「素を見し樸を抱き」││老子の言葉。「樸(ぼく)」は荒木。すなわち原木の意。「抱樸」とは、原木・荒木を抱きとめること。抱樸館は原木を抱き合う人々の家。山から伐り出された原木は不格好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨て置かれず抱かれる時、希望の光は再び宿る。抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁となり、家具となり、人の住処となる。杖となり、楯となり、道具となって誰かの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人をなごませる。原木・樸はそんな可能性を備えている。まだ見ぬ事実を見る者は、今日、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。しかし樸は、荒木である故に少々持ちにくく扱い辛くもある。時にはささくれ立ち、棘とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のために誰かが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私のホームだ。樸を抱く││「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。ホームを失ったあらゆる人々に今呼びかける。「ここにホームがある。ここに抱樸館がある」

いつの間にか他人のために傷つくことを「損」と思うようになった私たち。そんな私たちをイエスの十字架は今日も問う。「その傷によって、あなたがたはいやされた(第一ペテロ二章二四節)のではなかったのか」。アアメン。ならば、もはや無傷ではおれまい。抱樸を生きるしかない。