わが家の小さな食卓から
愛し合う二人のための結婚講座
第16回 どんな家族になりたいか

大嶋裕香
 1973年東京生まれ。宣教団体でキリスト教雑誌の編集、校正を手がける。99年にキリスト者学生会(KGK)主事の夫と結婚後、浦和、神戸、金沢と転々としながら年間100~200名近い学生、卒業生を自宅に迎える。KGKを中心に、夫と共に結婚セミナーで奉仕。その傍ら、自宅でパン教室、料理教室を開き、子どもたちにパン作りを教えている。13歳の娘と10歳の息子の母親。

この連載を始めるにあたり、ある婦人に電話でお話をしました。「今度結婚をテーマに連載を始めるので、お祈りいただけますか?」彼女は私の結婚のために一緒にお祈りくださり、また結婚後はわが家のために毎日お祈りくださっている方です。
「連載のタイトルは、『わが家の小さな食卓から』というタイトルにしようと思うんです」「まあ、裕香ちゃんのおうちにぴったりなタイトルね! あなた、食卓にたくさんの方をお招きしたい、と結婚前に言っていて、そのとおりになったものね!」とうれしそうでした。

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そうなのです。私たち夫婦が結婚前にどんな家庭にしたいか、ということを話し合ったときに、お互い共通していたのは「開かれた家庭にしたい」ということでした。司式をしてくださる牧師から受けた結婚カウンセリングの中で印象的だったのは、「どんな家族になりたいですか」という質問。「お互いに結婚十年後の家族の絵を描いてください」と、紙を渡されました。「子どもは二人くらいかなあ?」と想像しつつ、子どもとお客様がソファに座っている絵を描きました。夫もお客様と食卓を囲んでいる絵を描いていました。神様は私たち夫婦の願いを聞いてくださり、お客様の押し寄せる家庭となりました。
新婚一年目から延べ百人のお客様。このときは夫が勤める学生伝道団体の学生や教会の青年会の子たちが中心でした。夜中に突然やってくる新聞記者の青年や、救われたばかりの男子学生たちもよく集いました。神学校入学後は、授業後に学生たちがわが家に集まり、熱い神学論議とお茶のひと時。卒業して北陸に赴任した頃は、一番お客様が多かった頃です。年間延べ二百人を数えたこともありました。今は学生よりも卒業生のお客様が多く、結婚の学びや相談でいらっしゃる方が増えました。
その中でも、家庭や異性との関係で傷ついた女子学生の子たちとの出会いは忘れられません。キャンプや集会で悩み相談を受けた女子学生たちを、夫がわが家に連れてきました。不安や怒りや悲しみでいっぱいだった彼女たちがわが家に泊まり、息子や娘と一緒に過ごし、一緒に買い物をしたりお皿を洗ったりしているうちに少しずつ元気になる様子はとてもうれしいものでした。
「うちな、大嶋家の長女やねん」と言っていた彼女は、わが家の玄関でいつも「ただいま」と言い、「行ってきます」と言って自宅に帰っていきました。親から虐待を受けてきた彼女は最初、「ありがとう」が言えませんでした。「そんなによくしてもらったら、困る。何て言っていいかわからへんから」
ある時、クリスマスに彼女を連れて家族で外食をしました。「クリスマスプレゼント買おう! 何がいい?」と聞くと、高校生の彼女は、「ブーツがいい」と言います。何軒も靴屋をまわってやっとお気に入りのブーツを手に入れ、恥ずかしそうに言った「ありがとう」の言葉。私は息子や娘と同じように、「長女」にもプレゼントを買ってあげたかったのです。家族で過ごすクリスマスを体験してほしかったのです。その後、彼女は夫に素敵な鞄を贈ってくれました。今でも大事に使っています。
また、精神的にまいってしまい、不安で寝られずに夜中に何度もわが家にやってきた大学生の姉妹。一晩中背中をさすってお祈りし、病院に付き添いました。この姉妹も回復し、就職、結婚。幸せな家庭を築いています。  
「裕香さんはパン教室をしているからイメージして描きました。受け取ってもらえますか?」と、渡された一枚の絵。絵の得意な姉妹が描いたのは、「キリンのパン屋さん」という淡い水彩画。リビングに飾っています。こうして何百人ものお客様と共に食卓を囲んできました。これから新しい家庭を築くカップルにも、「どんな家族になりたいですか?」と問いかけます。十年後、子どもはいるでしょうか?二人とも働いているでしょうか? どんな家族になりたいですか? 子育てや仕事について、例えば子どもは何人くらいを望んでいるのか、子どもが生まれたら仕事はどうするのか、家事育児の分担などについて、折々によく二人で話し合ってほしいと思います。そして、子どもが与えられるまでの間、夫婦の時間をたっぷり持って、じっくり二人で語り合ってほしいとアドバイスしています。
わが家がこんなにも多くのお客様を迎える家になろうとは思ってもいませんでした。私たちを迎えてくださり、お交わりをしてくださった多くの先輩家族の食卓があったからこそです。「こんな家族になりたい」というモデルがあることは、素晴らしいことなのです。