みんなで続けようディボーション 神の愛と命を分け与える者となるために

佐藤 順
牛込キリスト教会牧師、カリフォルニア神学大学院日本校学長

 「人が見聞きする情報のうち何%が前向きで、何%が否定的だろうか」という調査がシカゴで行われました。調査対象者は一年半にわたって、テレビを見たり、新聞、本を読んだりした時、また会社の人、親戚、友人に会った際、そこで得た情報が前向きか、否定的かを書き記したのです。

 その結果、前向きの情報は全体のわずか十%で、九十%は否定的な情報でした。人の性格は頭に入ってきた情報に影響されるのですから、幸福な人生のためには、相当意識して、プラスの情報を取り込まなければなりません。

神と人とを愛するために

 魂が聖霊で満たされ、心が健全でいるためには、聖日礼拝に加え、日々祈り、聖書を読むディボーション(個人的礼拝)が必要です。ディボーションは、この世からの否定的な入力を一掃し、信仰による前向きな入力をする時間です。聖霊の導きにより、新しい発想が与えられ、使命を見出し、「神と人とを愛する」(マタイ二二章)器となるよう、自分を備える時間です。

 祈りの本質は、神に願いを叶えさせることではありません。私たちが、神の祝福を受けるにふさわしい者となれるように、へりくだることです。

 もちろん、ピリピ人への手紙四章六節に「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」とあるように、最善を賜って下さる神への信頼を表わすために、願い事を申し上げることは大切です。しかし、主イエスが、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように」(マタイ二六章三九節)と祈られたように、祈りの基本は、御声を聞くことです。

心を神に向ける

 米国のトニー・カンポーロ牧師は、毎朝、起きて活動する前に十五分から三十分、横になったまま、心を神に向けるそうです。その間、何も言わずに、主の霊に入っていただく時間としています。否定的な思いが入りそうになると、主イエスの御名を繰り返し述べるのです。御名には、悪霊を追い出す力があるからです(マタイ七章二二節)。これが彼の力の源であり、祈りの中心です。

 ディボーションを、願い事を並べ立てる時間にすれば、きりがなく、そのうち疲れてしまうでしょう。祈る前から私たちの必要をご存じな天の父なる神さまにすべてをお委ねし、御声を聞く時間としましょう。

マザー・テレサの背光

 マザー・テレサに、ある記者が「いつも神に何と祈っているのですか」と質問すると、マザーは、「じっと神の声を聞くのです」と答えました。困った記者は、「では、神は何と言われますか」と聞き返すと、マザーは、「神はじっと私の声を聞いておられます。この意味が分からなければ、これ以上説明できません」と言ったそうです。

 祈りの中で心を神に向けた時、聖霊が魂に降り、聖霊で満たされた魂は私たちの心奥深いところに、神の御声を語りかけます。人は自分の意思で、御声に従う決意をします。マザーは、この祈りの本質を述べたのでした。

 修道会の高校の先生をしていたマザーは、ある日、「すべてを捧げてスラム街にまでキリストに従い、貧しい人の中で主に仕えなさい」という御声を聞き、校長の座を捨て、カルカッタで「死を待つ人の家」を始めたのでした。

 絶えず祈り、聖霊で満たされていたマザー・テレサからは、全身から後光が放たれているようでした。これについて、BBC放送局の取材陣が不思議な体験をしています。「死を待つ人の家」には、貧困、飢餓、孤独、絶望、病気、死にあえぐ人たちがいます。本来なら、暗い死の館であるはずの家は、光で満ちていました。死にゆく人たちの中に、荘厳な神の命が宿っていて、その表情には安らかさが満ちていたのです。

 BBCの番組製作者マゲッリッジ氏は、このときの奇跡を記しています。「撮影担当者は、採光不足で撮影は無理だと言い張ったが、時間がなかったので強引に撮影を強行した。念のため、外の中庭も撮影し、現像してみると、中で写した部分は格別美しい柔らかな光に包まれていて、外で写した分は暗くてよくわからなかった。こういうことは技術的にありえない。この光は、マザーの背光、磁力そのものだった」。

聖霊に満たされて聖書を読む

 祈りと共に大切なことが、聖霊に満たされて聖書を読むことです。第二テモテへの手紙三章一六節に「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」とある通りです。

 元カネボウ薬品会長の三谷康人さんは、若い頃から、会社の問題を解決するために、聖書を読んでおられました。三谷さんのことを、鐘紡(株)名誉会長伊藤淳二氏はこう記しています。「三谷君の悲しい顔、苦しみに悩んだ顔に私は会った事がない。いつも変わらぬおだやかな口調で話し、意見や書簡を提出してきた時、その末尾に必ず『聖書』のことばがかきしるされていた」。

 三谷さんは、人よりも神に従ったため、三度の左遷・降格に遭いながらも、会社の危機を救い、会長にまでなられた方です。「聖書によって、人生の危機を乗り越えることができた」、と三谷さんは言っておられます。〔三谷康人『逆転人生』(いのちのことば社)、三谷康人『ビジネスと人生と聖書』(サイトブックス)〕

 藤尾英二郎先生は、聖書が好きになるためには、以下のことが大切だと記しています。

 「聖書を読む秘訣は、一時に沢山読まないことである。真の興味が湧いて時間の経つのも知らずに読める様になった人、仕事休みの日には一日中、聖書を呼んでいても堪能しない様にされるまでは沢山読まないことである。それよりも続けて毎日読むことである」。

 そのほかに、聖書以外のものを読む精力を節約し、まずは聖書を読むのだと言われます。「聖書をまず読んで、主様を教えられてから雑誌や新聞を読むと、又、世の中の文字を通して色々と教えられ、又、主様の福ひを知る機会ともなるのであるが、聖書を後にして新聞や雑誌を見ると面白くない様である」。

 さらに、教会に行くこと、聖書に関した雑誌、注解書、聖徒の伝記等を読むこと、そして、聖書を読んで主から教えられ喜んだことは証しすること、などを挙げておられます。

地下鉄やバスの中でも

 ディボーションは、決まった時間にしかできないものではありません。地下鉄やバスの中、デスクにいる時も、時々、一分間、目を閉じ、神に思いを集中させ祈るのです。これを実行すればするほど、神のご臨在を身近に感じるようになります。いつでも心を神に向け、聖霊で満たされ、人々に神の愛と命を分け与える者として頂きましょう。