みことばに「聴く」―牧師室の霊想から
礼拝のために大切な説教を備えてくださる牧師の日々のディボーション、聖書の読み方をのぞき見! みことばを魂の深みで聴く


堀 肇
日本伝道福音教団 鶴瀬恵みキリスト教会 牧師

聖書は学問的な研究対象にもなりえますが、キリスト者にとって最も大切なことは聖書を信仰の成長・霊性の涵養のために読むということです。幸い今はさまざまな霊想書やデボーション用書籍も多く出版されていますので、聖書はより身近なものになってきているのではないでしょうか。
しかし、こと「読み方」というものを振り返ってみますと、内容を理解・解釈するという、どちらかと言えば知的に「読む」ことが中心となって、今ここで神が語っておられることを「聴く」ことが欠落してしまう傾向があったのではないかと思わされています。聖書は本来、読むことを通して真の著者である神の声を「聴く」ということに中心点があったはずです。
E・H・ピーターソンは「キリスト者の聖書への関心は常にそこから神の語りかけを聞くということにあった
……〈聞くこと〉と〈読むこと〉は断じて同じことがらではない。……〈聞くこと〉は人格と人格の間で交わされる行為である」(『牧会者の神学』)と言っていますが至言です。厳密に言うと神の語りかけを親密な関係を通して、心と魂で聴くと言っていいと思います。
そのために私は以前より沈黙と静寂を重んじ、聖書を一語一語、ゆっくり、言葉と文脈を丁寧に、福音書であればイエスの声、眼差し、その所作をも想像しながら読むようにしています。そうした中で自分に語りかけられてくる言葉を熟考し思い巡らします。みことばを黙想的に読むということです。言い換えれば、みことばを「魂の深みで聴く」ということでしょうか。
これには少し訓練を要しますが、少し慣れてきますと聖書を読まなくてはならないという強迫的な思いから解放され、自分からみことばを求めるようになっていきます。なぜならばそれは私たちを限りなく愛してくださる方にお会いできる、つまりそれは「神との友情」の交換の時となるからです。