すばらしい本との出会い ファンタジーをとおして見えるもの

すばらしい本との出会い
中山 信児
日本福音キリスト教会連合 菅生キリスト教会 牧師

 一冊の本に出会って感動をもらい、同じ著者の本を何冊も読む。中にあまり面白くない本もあるのだが、読み進めるうちに、面白くないと思っていた本が突然、意味を持ち輝き出す。そこには本たちとの出会い以上に著者との人格的な出会いがあります。

 私の場合、ジョージ・マクドナルド、J・R・R・トールキン、C・S・ルイスといった英国のファンタジー作家たちと、そのような出会いを経験しました。

 彼らについて語る前に、牧師の私がなぜファンタジーを好むのか、そのわけをお話ししておきましょう。もちろん私の書架にも聖書辞典や注解書、神学や教会史の本が並んでいます。しかし画家があらゆる画材に通じ、画筆を上手に使えても、それだけで良い絵が描けるわけではないように、私にとっても、それらの神学的ツールを使いこなす以上に大切なことがあるのです。

 「あの世界の秘事を語るにはどうしたらよいのか……人間の理解をこえることがあれば、分かりやすくするために、霊的なものを物的な形相になぞらえて話をしたいと思う」。ミルトンが『失楽園』の中で天使ラファエルに語らせたことばです。天国の秘事は人間の理解をこえた霊的なものです。神学が、それを人間に理解できる物的(理性的・論理的)な形相に映し換えるのに対し、ファンタジーや詩(そして音楽)は、論理的なことばでとらえきれない天国の秘事――神の栄光と尊厳、永遠と無限の神秘など――を、鏡としてそのまま映し出すのです。

 ジョージ・マクドナルドは、まさにそのような作家です。マクドナルドこそ英国ファンタジーの源流にあって、ルイスやトールキンにも深い影響を与えた作家です。ルイスは『燃やしつくす火』(新教出版社 中村妙子訳)の中で「わたしはつねにマクドナルドを憚りなくわが師と呼んできた」と告白しています。ルイスのことばを借りるなら、マクドナルドのファンタジーは、読む者の心に「それまで一度も感じたためしのない、いえ、感じうるとも思わなかった感覚を」呼び覚まし「そのショックによって……生涯知らなかった目覚めを経験」させるのです。マクドナルドの作品の中でそのような高みにあるものは『北風のうしろの国』(早川書房、中村妙子訳)『お姫さまとゴブリンの物語』『カーディとお姫さまの物語』『黄金の鍵』(偕成社 中村妙子訳)などですが、現在、どれも邦訳が入手困難なのは惜しまれます。

 ルイスは「福音派」のクリスチャンには一番馴染みの深い作家でしょう。私も『キリスト教の精髄』で初めて、ひろやかな心で書かれたキリスト教弁証論と出会い、『悪魔の手紙』によって人の弱さと悪魔の誘惑について身にしみて教えられて以来、彼の虜になりました。でもルイスの作品で私が一番うれしく思うのは彼のファンタジー『ナルニア国ものがたり』(岩波書店 瀬田貞二訳)です。ここには神の王国に生きる者の姿が手に取るように描き出されています。

 『指輪物語』の映画化で注目を集めているトールキンは、その生涯の大半を「中つ国」の歴史を記すことに捧げました。『シルマリルの物語』『ホビットの冒険』『指輪物語』(岩波書店 瀬田貞二訳)は、それぞれ独立した作品ですが、三つが合わさって壮大な「中つ国」の年代記を構成します。特に『指輪物語』は、風のにおいや草木の一本も描き込む緻密さ、中つ国を縦横に駆ける壮大さ、そして小説のために言語体系までも作り上げてしまう構想力のゆえに、今でもファンタジー文学の金字塔として高くそびえています。

 マクドナルドもトールキンもルイスも、その作品の根底には聖書的な世界観があります。余談ですが、今流行のハリー・ポッター・シリーズにはそれがありません。エンターテイナーとしては上手でも、聖書的な根を持たないローリングは彼らの継承者ではありません。

 さて、もう一人キャサリン・パターソンという米国の作家を紹介したいと思います。彼女の小説の舞台は普通の家庭や職場であり、登場人物もごく当たり前の人たちです。マクドナルド、トールキン、ルイスが非現実の世界を描くことによって天国の秘事を映し出す天才なら、パターソンは現実のごみごみした世界を描きながら、そこにある天国の輝きをすくい取る天才と言えるでしょう。『クリスマスの短編』(すぐ書房 中村妙子訳)はそのようなパターソンの天分が結晶した美しい短編集です。新しいエッセイ『私はだれ?――自分さがしのヒント』(晶文社 中村妙子訳)には、彼女の信じるところが素直な心で書き留められています。

 最後に、このような作家たちを日本に紹介してくれた二人の翻訳者に感謝したいと思います。瀬田貞二さんと中村妙子さんです。私の読む本には、このお二人に導かれるようにして出会ったものが多いのです。お二人が優れた外国の作品を、美しく明晰な日本語で紹介してくださらなかったら、私の信仰生活はずいぶん味気ないものになっていたのではないかと思います。