さわり読み 話題の新刊
『アダムの沈黙』さわりよみ!

『アダムの沈黙』

アダムは語るべきだったのに沈黙を続けた

 蛇がエバを誘惑したとき、アダムはどこにいたのだろうか。聖書には、エバがサタンに欺かれ、禁断の果実を「取って食べ、【いっしょにいた夫】にも与えたので、夫も食べた」(創世記3・6、強調は筆者)とある。

 アダムはずっとそこにいたのだろうか。蛇が妻エバを言葉たくみに欺いている間、妻の傍らに立っていたのだろうか。そこにいて、会話の言葉を一つ一つ聞いていたのだろうか。

 もしそうであったならば(そう考えたほうがつじつまが合っているようだが)大きな疑問が生じる。なぜアダムは何も言わなかったのか。

 神はエバをお創りになる前、すでにアダムに「決して中央にある木から食べないように」と命じられていた。そして妻エバが創られたとき、アダムには当然、その禁令についてエバに教える責任があった。アダムは確かにそのことをエバに教えたはずだ。

     ( 中 略 )

 思い出してほしい。エバは蛇に欺かれたが、アダムはそうでなかった(Iテモテ2・14)。アダムは状況を把握していた。それなら、こう言わなければならなかったのではないか。

 「エバ、ちょっと待て。こいつはとんでもないことを企んでいる。僕にはこの蛇の悪魔みたいな狡猾さが手に取るようにわかる。君を騙して、神に従うよりも逆らったほうが得だと思い込ませようとしてるんだ。そんなの嘘だ! 君が創られる前、神が僕にどんなことをおっしゃったか、もう一度正確に教えてあげよう。ねえ、周りを見渡してごらん。ここは楽園だ。神はこれをお創りになり、全部僕たちに与えてくださった。神の慈しみ深さを疑う余地なんて、どこにもないんだよ」

 それから蛇のほうに向き直り、「もうおまえと話すことなどない。立ち去れ!」と言うべきだったのだ。

 しかしアダムは何も言わなかった。ただそこに突っ立って会話を聞き、一部始終をながめるだけで、一言も発しなかったのだ。アダムはエバを助けることができなかった。初めて直面した霊的試練に屈し、神の意思を伝える使命を果たすことができなかった。そして男として失格したのだ。

 この「アダムの沈黙」から、すべての男性の失敗は始まった。カインは神に反逆し、モーセは短気を起こした。ペテロは弱さをさらけ出し、私自身も昨日、妻に辛く当たるという失敗を犯したところだ。「アダムの沈黙」には、私たちがどのような過ちを犯す者であるかが描写されている。不快ではあるが、見事に描き出されている。