『歎異抄』と福音 新連載 第一回 親鸞人気を支えているもの

大和昌平 やまと・しょうへい
1955年、大阪市生まれ。子供時代に浄土真宗に触れ、高校時代にキリスト者となる。東京基督神学校に学び、福音交友会・京都聖書教会牧師を25年務める。その間、佛教大学大学院で仏教学を研究する。現在は東京基督教大学教授(東洋思想・実践神学)。著書『牧師の読み解く般若心経』(ヨベル)等。

 

現代日本人がもっとも尊敬する日本の思想家は親鸞であるといわれる。五木寛之が満を持して著した『親鸞』(青春篇・激動篇・完結篇)には、血沸き肉躍る活劇もあり、しっとりとした恋愛譚も添えて、千年の都が武士に乗っ取られた驚天動地の世の中に、生身の親鸞が描かれている。鎌倉時代の仏僧が、現代日本でなぜこれほどに人気を博し、高く評価されるのだろうか。
親鸞はキリスト教の組織神学書にあたる『教行信証』を壮年時代に書き著し、自らの思念を固めていった。その『教行信証』は経典の引用ばかりで、親鸞の苦闘の跡は窺われるものの、好んで読まれる書物ではない。今日の親鸞人気の土台をなしているのは、『歎異抄』なのである。

『歎異抄』は親鸞の著書ではない。親鸞の死後、弟子の唯円が尊敬する師の言葉を書き記し、その師の教えと異なる教えがはびこるのを嘆いたコンパクトな書物である。聖書の福音書記者たちが、師であり主と仰いだイエス・キリストの言葉を書き記したのに似ている。次のような『歎異抄』のフレーズは、どこかで目にしたのではないだろうか。原文に試訳を添える。
◇「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)|いかなる修行にも耐えられないわが身ですから、どうしたって地獄が私の住みかとなるのです。
◇「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」(第三章)|善人でさえも極楽に生まれることができるのです。ましてや悪人にできないはずがありません。
こうした大胆で逆説に満ちた親鸞の言葉が、現代日本人の心をえぐる。そこには徹底した自己の悪の凝視があり、通常の道徳を超えた絶対的な宗教の地平を思わせるものがある。まるで個人の自我を問題にした近代人のようであり、近代日本に伝えられたキリスト教・プロテスタントの使信と響きあうものをも感じさせる。この『歎異抄』の魅力があってこその現代の親鸞人気なのだ。

かく言う私自身、親鸞と『歎異抄』との関わりでキリスト者として生きてきた。物心つく頃には仏壇の前に座ってナムアミダブツとお念仏を唱えることを当たり前のようにしていた。日曜日には浄土真宗の寺院に祖母に連れられて、たびたびお寺参りをした。畳敷きの本堂で読経・説教・仏教聖歌の合唱と続く礼拝に、本堂の隅で絵本を読みながら座っていた。正面は阿弥陀仏像を中心に据えた広壮な仏壇だが、正面の隅に講壇が置かれて、そこで住職や説教師がかなり長い説教をするのを聞くともなく聞いていた。礼拝の後、祖母が何かの案内をするのを見上げて聞いていたことも思い出す。今思い返しても、浄土真宗の礼拝の形式はプロテスタントの礼拝に似ているのを不思議に思う。
高校一年の時に初めて聖書とキリスト教に出会い、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14・6)とのキリストの言葉に心惹かれて教会に通い始めた。そこで信仰告白に導かれ、キリスト者として今日まで生きてきたが、親鸞への敬意は持ち続けている。

本連載では、以下のような点に注目して、『歎異抄』を聖書の福音との関連で読み解く形で書き進めていきたい。
第一に、『歎異抄』が広く読まれるようになったのは近代以降で、日本におけるプロテスタント宣教の歴史と重なっているという点。清沢満之・暁烏敏・倉田百三など、内村鑑三と同時代の人士によって『歎異抄』は世に知られていった。柏木義円、亀谷凌雲、佐古純一郎など真宗寺院に生まれ、キリスト者となり牧師になった人々がいる。
第二に、『歎異抄』は生き方を求めて広く人文書として読まれてきたという点。哲学者の三木清、作家の野間宏や五木寛之、評論家の吉本隆明や神学者の滝沢克己などなど、現代の古典として『歎異抄』に向かい合った人々は、そこに何を聞いてきたのだろうか。
第三に、『歎異抄』の親鸞の言葉が近代人のように語られるけれども、仏教学の動向からすれば、本来中世人として親鸞を理解すべきだという点。また、聞き書き『歎異抄』と自著『教行信証』のズレにこだわる問題意識など。
最後に、キリスト者の視点から、なぜ『歎異抄』と福音には不思議な類似点が見いだされるのか。その上で、両者がはっきりと異なるのはどこなのか。それはなぜなのか。そのような点を明らかにしていけたらと願っている。
『歎異抄』は序・本文十八章・結文と付録で構成される。次回は、唯円が結文の最後に記した、「外見あるべからず」(あまり外に見せないように)の言葉から、この書が宗門内で「秘書」として扱われてきた経緯に目を向けたい。