神様がくれた風景 6 父のバイク

父のバイク
やまはな のりゆき

父はバイクに乗っていました。中学校の教員で、雨の日も雪の日もバイクに乗って学校に通勤していました。時々僕を後ろに乗せて山道を走ったり、海に連れて行ったりしてくれました。しがみついた父の背中は大きく、たくましく、頼りがいがあって、その後ろにいれば僕はいつも安心でした。
僕が漫画家になることをいつも応援してくれていました。キャッチボールをしてくれました。父の球は速くて重かった。お酒を飲み、タバコはピースを吸い、時に母を泣かし、時に母に怒られていました。そして、過去の何かを悔やんでいた。生徒たちの反発を受け、バイクを壊されたこともあるようです。それでも、生徒たちに根気よく接し、ついには和解。彼らの卒業式にはともに抱き合い、涙を流したと、うれしそうに話してくれました。僕は父が大好きでした。
父が亡くなった年のお正月のこと。まさかその3か月後に亡くなるとは思いもせず、朝、僕は父の布団に入って話をしていました。キリスト教とは何なのか、聖書には何が書いてあるのか。どうして僕が信仰を持つようになったのか。当時小6だった娘を呼んで、「おじいちゃんにイエス様の十字架の意味を教えてあげて」と頼むと、娘はものすごくわかりやすく、十字架について、罪について、赦しについて、天国の希望について見事に説明してみせたのです。父は「へぇ、そうだったの。へぇ、そうなんだ」と目からうろこの納得ぶり。その日、僕らは北海道の実家から横浜の家に戻るので、子どもたちとみんなで輪になって祈りをささげました。父と母もその輪に加わってくれて、ともに祈り、そして僕らは別れました。それが、父を見た最後です。
帰りの車中で、妻が「お父さん、あなたが祈っている最中、ずっと何度も何度も胸で十字架を切ってたわよ」と教えてくれました。本当にうれしかった。それはまさに父の信仰告白。父は、その年の3月に天に召されました。最後まで人生を生ききった父。父のような父親でありたい。それが、子を持つ僕のささやかで大きな目標なのです。