これって何が論点?! 第10回 教科書検定って何?

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

戦前戦中は、政治や軍部が学校教育で教える内容を統率したため、軍国教育の場となり、国民を戦争に駆り立てる役割を負いました。この反省に立ち、一九四五年の敗戦後は、教育の民主化が急務とされるようになりました。

Q 教育の民主化はどのように行われたの?
一九四七年三月三十一日に制定された「教育基本法」前文には理念がこう記されました。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」。また、そのためには同法第十条で、「①教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。②教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と記され、政治権力の干渉から教育の独立性が保護されることが必須とされました。行政の役割はあくまでも教育環境の整備であり、教育内容にはかかわれないという趣旨です。ところが二〇〇六年、この教育基本法は全面改訂されるのです。

Q どうしてそうなっていったのですか?
戦前においては国が教える内容を一律に決定する「国定教科書制度」が採用されていましたが、戦後はこれを廃止し、一九四七年「学校教育法」によって、選挙で市民から選ばれた都道府県の教育委員会が教科書検定を行うように権限が移されました(実際には文部大臣〔現文部科学省大臣〕がこの権限を暫定的に代行していました)。
しかし一九五二年のサンフランシスコ平和条約で日本が独立して以降、それまで息をひそめていた保守勢力が教育の民主化政策に大きな抵抗をし始めます。一九五三年、「学校教育法などの一部を改正する法律」によって教科書検定の権限は文部大臣に移管されてしまいます。翌年五月には、「教育公務員特例法」の一部を改正する「教育二法」が強行採決されて、教育内容の〝政治的中立〟を保つためとして〝公立学校の教育公務員の政治的行為の制限〟が行われます。確かに教員が、「この政党を支持しろ」「支持するな」と誘導することには問題がありますが、政治を学ぶことは批判の目を養うことと切っても切れない関係にあります。軍国主義や全体主義に批判的な目を養うことは、教育基本法全文にも明記された大切なことで「政治活動」とは別物です。しかしちょうどこの時期、一九五〇年警察予備隊の創設、一九五二年保安隊に改編、一九五四年MSA協定(相互防衛援助協定)締結に伴う自衛隊法などの「防衛二法」成立等、日本の再軍備が加速的に行われていました。そして一九五五年、保守大合同で自由民主党が結成されるのです。自民党は、日本教職員組合による「再軍備を基としたファッショ的な文教政策から子供を守る」という主張は“偏向教育”だと非難します。つまり「再軍備化に反対すること」は〝偏向〟であり、支持または黙認せよという意味です。こうして戦後すぐに再び、国が教育内容を定め、方向づけ、関与することが急速に行われるようになったのです。

Q 教科書検定(教科用図書検定)とは?
一九五六年、検定強化を目指した「教科書法案」は国民の反対により廃案となりますが、廃案となった「教科書調査官制度」を文部省令として新設することで、「教科書検定」は、実質的に「国定教科書制度」同様の教育内容統制・検閲機能を持つものへと強化されます。最初に実施された一九五八年は、三十三%の教科書が不合格となりました。
家永三郎教授の一九五五年度の高校用日本史教科書では、二一六項目の検定意見が出されました。例えば「日本軍は北京・南京・漢口・広東などを次々と占領し、中国全土に戦線を広げた」を「中国全土に戦線が広がった」に訂正せよ等々。拒否すると「不合格」。理由は「事実の取捨選択に妥当を欠いているところが少なくない」「過去の史実による反省を求めようとする熱意のあまり、学習活動を通じて祖先の努力を認識し、日本人としての自覚を高め、民族に対する豊かな愛情を育てるという日本史の教育目標から遠ざかっている感が深い」等でした。抗議は聴き入れられず、家永氏は何度も筆を折ろうと悩みますが、文部省の気に入る教科書ばかりになってしまうことを思い、交渉を重ね、不本意な訂正をのみ、合格を得ます。そして、この不当な訂正命令を違法として、「家永教科書裁判」に踏み切るのです。一九六七年七月十二日、東京地裁で家永氏はこう証言します。「わたくしは力の弱い一市民ですが、戦争に抵抗できなかった罪の万分の一でも償いたいという心情から、あえてこうした訴訟に踏切った次第であります」
家永三郎著『歴史のなかの憲法 上』(東京大学出版会、1977年) 中でも、
第8章「日本国憲法はどのようにして空洞化されつつあるか、国民はこれにたいしどのようなたたかいを展開しつつあるか その二 各論」 の第一節を参照。
俵義文、石川久男著『高校教科書検定と今日の教科書問題の焦点』(学習の友社、1995年)