舟の右側に網を打ちなさい ―ヨハネの福音書21:1~14―

福音点字情報センター協力委員長
影山範文

この箇所は、主がよみがえって2週間後、ヨハネの記録によると3度目に、よみがえった主が弟子たちにお会いになった次第を記しています。
主の復活はとてつもない大きな喜びでした。しかし彼らには、これから何をすればよいか示されていませんでした。復活された主は四六時中彼らと共におられたのではなく、ご自身が何かを教えようと思われた時に、自らを現されたのです。そんな日々が続いて、復活から2週間後の夜、シモン・ペテロを含む7人の弟子たちは、糧を得るために魚を取りに出かけましたが、なぜか何の収獲もなく、朝を迎えてしまいました。夜明け頃、漁をやめて帰ろうとする弟子たちに、岸辺に立たれた主が御声をかけ、網を打つ方向を指示して、たくさんの魚を収獲させてくださったのです。この時弟子たちは、復活後の主との出会いがほとんど常にそうだったように、最初、主であることに気づきませんでした。
 大漁の奇跡を経験した弟子たちが陸に上がると、そこには炭火と魚とパンが用意されていて、主が弟子たちに朝食を取るように勧められました。もちろん取れた魚も陸揚げされましたが、主はすでに炭火とパンを備えておられました。この時点で7人の弟子たちは、大漁の奇跡を行い、食事の用意をなさったのは主であると、はっきりわかりました。
 主の復活を記す聖書の箇所の中で、ここは私が特に好きなところです。素朴で、とても日常的で、弟子たちも、イエス様でさえも、普段着そのままの言動です。私は自分もそこにいて、一緒に朝ご飯を食べているような気がします。
 最近この箇所を思い巡らしていた時、私たちの今の状態と、あの時の7人の状態とが、どこか似ているように感じました。弟子たちは、主の復活という大きな喜びは経験しましたが、これから何をして生きていけばいいのかは示されませんでした。福音が何であるのか、十字架がどんな意味をもつのか、主の復活が私たちに何をもたらすのか、私たちの希望はどこにあるのか。そのような、私たちが当然のこととして知っている主の恵みの数々は、すべて聖霊降臨以後に弟子たちに示され、私たちに伝えられたのです。同じように、コロナ禍ですべてが大変革し、教会とこの世がどうなっていくのか全くわからない状態の今の私たちに、あの時岸辺に立った主が弟子たちに語られたように、「舟の右側に網を打ちなさい」(6節)と、具体的に示してくださることを信じ、日々の歩みを続けていきたいと願うこの頃です。