身近なところで あなたの隣人への働きかけ

地域密着型のSNSアプリを使ったことがありますか? フェイスブック、インスタグラム、X(旧ツイッター)などが有名ですが、もっと地域に密着したSNSアプリもあります。ログインして行動範囲を選択すると、位置情報からそのアプリを利用している身近な人たちと直接つながることができるのです。そうして地域の資源を共有し、近隣の人々に安全を呼びかけることもできます。これは良い面ですが、実際は政治的な議論や不満を解消するために相手を攻撃する人たちもいます。これらのアプリは便利な反面、時に人間の中にある罪を浮き彫りにさせるのです。
デジタル化が進む時代であっても、私たちは現実の空間で、他の人々とつながりたいという気持ちを持っています。また特定の地域に暮らす私たちは、地元の企業や地域の学校など、その場所の暮らしを知っている人たちとつながりたいと考えます。私たちは、時間と存在を通して、近くにいるものを愛します。つまり、私たちは同じ空間を共有することで愛を育むのです。
EHCは、このような愛を地球上のすべての国で拡大させることを約束するグローバル・ネットワークです。
今月のニュースレターを読みながら、あなたが住まいを与えられている場所について考えてみてください。隣の家に暮らしている人はどんな人ですか? 彼らの名前は? その人の人生、家族について、あなたは何を知っていますか? 彼らはあなたの何を知っていますか? 彼らの親切をどのように経験しましたか? 今日、あなたがどこにいようとも、主の臨在を伝えることができるように、主が導いてくださるかもしれないどんな方法にも心を開いてください。
あなたの街で、そして世界中で、このEHCの働きを担っていただいていることに感謝します。

EHC国際総裁 タナー・ピークより

  近隣にて

ノースカロライナ州ヒッコリーは、アメリカの典型的な田舎町です。レンガ造りの玄関が並ぶ趣ある歴史的な通りや、ペンキがひび割れ、壊れかけた部分が透けて見える住宅街もあります。そして、グレース教会はそのような地に召された教会です。グレース教会のメンバーは、EHCアメリカのミニストリーである活性化プログラムの一員として、隣人に福音を伝えることを表明し熱心に取り組んでいます。
30以上の州から何百人もの牧師がトレーニングに参加し、弟子訓練のために自分たちの教会メンバーを導くよう励まされ、備えているのです。EHCが世界的な規模で行っている活動と同様に、この活動もこの地域のクリスチャンたちによって構成されています。
「グレース教会の人々は、『困難な場所にいる人々』とイエス様を分かち合いたいという心の重荷を感じていました」と現地の活動を指導しているマーカス・ドルフェンズ牧師は語りました。「薬物、暴力、虐待が一般的な地域」で、教会はイエスの希望を分かち合うために各家庭を訪問したのです。
ある伝道活動中に、一人の男が私たちの仲間に近づいてきて、私たちのチームのTシャツを熱心に見ているようでした。すると彼は立ち止まり、泣き始めました。
その男性はテッドと名乗り、何年も薬物とアルコールを乱用していると語りました。彼は私たちに暴力を振るうつもりだったようですが、Tシャツにプリントされた 「グレース(恵み)」と言う文字を見て、彼の心の中の何かが変わったのです。チームはテッドに恵みと赦しのメッセージを伝え、その日、彼はイエス様を心にお迎えすることができました。
テッドの家の近所で聖書の勉強会が始まり、グレース教会のメンバーは、一連の会話を通してアームストロングというハイチ移民の若者とも知り合いになり、彼もまたイエス様への信仰をもちました。
チームは彼らの生活が一変するのを目の当たりにしましたが、彼らが奉仕する地域は一朝一夕には変わりません。苦しみや暴力の亀裂は残ったままです。イエス様への信仰を告白してわずか数か月後、アームストロングは銃撃による流れ弾で天に召されました。彼はまだ20歳でした。しかし、アームストロングの信仰は彼の家族にとって慰めとなりました。彼の無差別な死は、彼と知り合ったばかりのクリスチャンやコミュニティにとってたいへん痛ましい事件となりました。
キリストを隣人に伝えるとはどういうことなのか。準備されたメッセージや、計画的な伝道活動も大切ですが、自分たちとは異質で隔絶された 「困っていたり、病んでいる」人々の居場所を探し、友人として受け入れ、彼らの喜びや痛みを身近に感じることが必要ではないでしょうか。
キリストの愛を分かち合うことを身近なところではなく遠く離れた場所で起こるものだと考え、家庭と「宣教地」の間に柵や区別を作っているかもしれません。ノースカロライナ州ヒッコリーと西アフリカの小国ベナンのような場所との間には、確かに違いがあります。しかし 地域社会との関わり方には共通点があり、そして、私たちの中には同じ愛が宿っているのです。ベナンのEHCディレクターであるサンデー・アヴラ氏も福音を伝えるための最初のステップは自分自身と隣人との間にある垣根を取り払うことだと言います。
「サッカーの試合、コンサート、休日など、すべての地域活動に参加しています」とアヴラ氏は言います。「自分たちは正しい人であり、彼らは罪人で、私たちと共通するものは何もないと思い込んでいたら、キリストを伝えることはできません。ヨハネの福音書3章16節は、私の見方を変えました。聖書には、神様が世を愛しておられるとはっきりと書かれているのです。」
神様の愛と私たちクリスチャンへの呼びかけは、揺るぎないものであり、国境もありません。実際、福音は、私たちの隣人に対する概念を超えるものをもっているのです。キリストの目を通して隣人を見るとき、隣人は私たちにとってかけがえのない存在であることを実感するでしょう。その人の住まいがどこであろうと、その人は私たちの一部なのです。そして、キリストの愛は、あなたが思っている以上にあなたの家の近くで必要とされています。あなたの家の隣人は、あなたが想像しているよりもたくさんいるかもしれません。あなたはその隣人を受け入れる準備ができていますか?