苦難は神様の招きのサイン

武井 博(横浜カルバリーチャペル名誉牧師、元NHKテレビ・ディレクター)

 私が生まれ育ったのは、埼玉県の、バスも通らないという片田舎の村でした。ですから、キリスト教会などはどこにもなく、その後も、私とキリスト教との接点はありませんでした。

 就職したのは、テレビ草創期のNHK、仕事はおもしろくて、27歳で企画・制作した番組、「ひょっこりひょうたん島」は、子どもの番組ながら、高視聴率を得て人気番組となりました。そんなことで、私は充実感を味わいながら、日々番組作りに没頭していました。

 ところが、私が49歳の時、わが家に、自力では解決できない大問題が起こったのです。娘が女子大を卒業すると同時に、キリスト教の異端とされる宗教に入り、家を出て寮生活を始めてしまったのです。私たちはショックで茫然(ぼうぜん)自失となり、生きた心地がしませんでした。

 そこで私たち夫婦は、すがる思いで、都内のあるキリスト教会に通い始め、貪るように聖書を読み、イエス様に助けを求めつつ、涙の祈りを重ねました。そして程なく、私と家内は受洗しました。

 こうして、私たちの人生はがらりと変わり、イエス様のご愛にすがりつつ歩む日々が始まったのです。しかし、娘の救出は困難を極めました。私たちは、老父母を世話しなければならず、1年後に自宅近くの教会に転会させていただきました。

 そして私は、定年少し前に職場を辞し、教会の神学校に入学、そこで3年間学びました。そして、なんと63歳の時に、横浜の支教会の牧師に就任することとなったのです。遣わされた教会は、ビルの一室での開拓伝道でした。そこに集ってくださったのは、せいぜい十数人、その内の半数近くは聾唖(ろうあ)の人たちでした。伝道は、家内との二人三脚で、まさに手探りの状態で始まりました。自宅から教会まで、車で往復2時間かかりました。しかし、私たちの心は伝道に燃えていました。

 するとイエス様は、そんな私たちをあわれんで用いてくださり、次第に教会に集う方々が増えていきました。受洗者も、年に10人くらいずつ起こされていきました。そして、10年間で100名礼拝を実現することができたのです。

 私たちは、あの時、イエス様に逮捕されたのだ、と思っています。人はどこかで困難に遭います。困難がこなければ、私たちは自分の力で生きていけると思ってしまいます。ところが、自分たちの力ではどうにもならない問題に遭えば、へりくだる心が与えられ、真の助け主と出会う機会が与えられます。そう考えれば、苦難こそは、神様からの招きのサインです。

 娘は、数年後に、自分の意志で異端の教団を脱会して、わが家に帰ってきました。主は、完璧な方法で娘を救い出してくださいました。ですから私たちは、主のためには何でもしようと思いました。主は、私たちのように「遅く来た者」をも用いてくださるのです(マタイ20章)。

 「種まき」には、年齢制限はありません。定年後、どうして生きていこうかなどと迷わずに、ぜひ、主のために働きましょう。