日本での文書伝道へと導かれた33年

ドン・リギアー宣教師

私はアメリカ中西部にある広大な農業地帯で有名なインディアナ州、北西角のレイク群にあるホバートという都市で生まれました。クリスチャンホームで、父は隣町の工業都市ゲーリーでバイブルブックセンターという書店を経営していました。その影響もあり、私は9歳でバプテスマを受け、12歳で献身し、毎日、父の書店の手伝いをしていました。お店の掃除を毎週土曜日にするのも私の仕事でした。13歳のとき、初めてお客様に聖書を販売したことをよく覚えています。
1970年にビリー・グラハム師の母校でもあるイリノイ州のウィートン大学を卒業した後、異文化で学びたいとTEAM(The Evangelical Alliance Mission)の短期宣教師として志願し、日本に来ました。2年間フレンズ宣教師のもとで英会話を教えながら、日本の文化について学びました。そのような働きのなかで将来日本への正式な宣教師になりたいという思いが与えられ、アメリカに戻り、福音主義のトリニティ神学校で学ぶことになりました。不思議な主の導きで、中学時代に出逢っていたマルタと神学校で再会し、1976年に結婚へと導かれました。
結婚して2年後の1978年、ファーストバプテスト教会で按手を受け、リバティーバイブルチャーチからの宣教師として1980年に妻のマルタ、11か月の娘と共に日本に来ました。そして2年間軽井沢の日本語学校で日本語を学び、最後の年に息子が生まれました。
家族4人で、最初は名古屋の豊明で2年間伝道をした後、いのちのことば社で奉仕をしないかという依頼を受けました。
開拓伝道を考えて日本に来ましたが、神様の不思議な働きで子ども時代のキリスト教書店の仕事に導いてくださったと確信し、1998年東京に拠点を移しました。いのちのことば社での最初の仕事は洋書部で、洋書を海外の方に販売する仕事でした。時代が変わり洋書を購入する方は激減しましたが、今度は日本語の本を日本に住む外国人に紹介する仕事へと導かれました。私は日本語があまりわからずいろいろと苦労しましたが、主は導かれたところで必要な備えと助け手を与えてくださり、以来、33年間にわたりいのちのことば社で奉仕ができたことを心より感謝しています。
私の妻マルタは、今年の4月22日に脳梗塞を起こし、リハビリをしていましたが、8月31日午後7時55分、天に召されました。今までの33年間、日本で妻と共に奉仕ができたことを感謝しています。これから、主はどのようなご計画をお持ちなのか、祈りつつ歩ませていただきます。
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)