よく祈りなさい

神山美由記(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴ
ッド教団 高槻キリスト教会牧師)

 私が教会に導かれたのは、中学生の時にクラスメイト(牧師子弟)から誘われたことがきっかけです。日曜学校の先生が毎週とても喜んで迎えてくれるのがうれしくて、毎週通うようになり、やがて洗礼の決心へと導かれました。
 教会に行くこと自体は許してくれていた両親も、いざ洗礼となると反対モードに切り替わりました。反対されていることを牧師先生に伝えると、「よく祈りなさい」と一言。早天祈祷会にも参加し、泣きながら祈ったことを思い出します。
 今思い返せば、両親の反対を押し切って「どうしても洗礼を受けたい!」と譲らなかったことは、私にとっての最初の反抗期?だったかもしれません。やがて待望の洗礼式を迎えたのですが、感謝なことにその場には、当初反対していた母も同席していました。その洗礼式をきっかけに、家庭の中に福音がじわじわと浸透していったのです。
 洗礼後、私は積極的に教会での証しを家族の日常会話に取り込みました。また、毎週の日曜学校の暗唱聖句を覚えるのを母に手伝ってもらいました。 「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1:37口語訳)、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:31)等々、私が家で何回も口に出して覚えていくうちに、自然なかたちでそれを耳にしていた母のうちにも霊の糧として吸収され、次第に福音を受け入れやすい柔らかな心へと変えられていきました。
 そして10年ほどの年月の間に、両親やすでに結婚していた兄の家族が次々と信仰に導かれ、今や親族10名がそれぞれ遣わされた教会で同じ神様を見上げて礼拝しています。
 家族伝道に関しては多くの人々が苦手意識をもっていると思います。実際に私自身もそうでした。家族に伝道する中で、衝突することが何度もあり、泣きながら牧師に相談しに行くこともたびたびありました。すると、いつも牧師は「あきらめずに祈り続けなさい。家庭の中でしっかりと証しを立てることができるように」と励ましてくださり、私たちの家族の救いのために教会を挙げて祈り続けてくださったおかげで現在があります。
 牧師は具体的なアドバイスをするというよりも、「よく祈りなさい」という一言で私の信仰を奮い立たせてくださいました。祈りの中で、家族に対する愛や配慮に欠けたところが示されて悔い改めに導かれ、目の前の現実よりもみことばに生きる決心へといつも立ち戻ることができました。
 これまでに実家の家族はいろいろな試練を通らされました。父の会社の倒産、親戚の自死など、さまざまな喪失と痛みを繰り返してきましたが、それでも「主は良いお方!」と家族が同じ思いで賛美できたのは大きな恵みです。家族伝道の結実を通して、ますます宣教の思いに燃やされ、牧師としてフルタイムの働きに召されたことを神様に感謝しています。
 この困難な時代の中にあっても、主がますます御国を拡大してくださることを信じて、これからも喜びをもって主に仕えてまいります。