宣教は神のなさること

福澤牧人(東京オンヌリキリスト教会、東京キリスト宣教教会牧師)

 父が牧師・伝道者(福澤満雄師)の家庭に生まれた私は、小5の時に受洗しましたが、16歳の頃から反抗して教会を離れました。高校を卒業すると同時にアメリカに夢を描いて、ハリウッドにあるセキュラーな音楽学校に進みました。でも、そのアメリカでボーン・アゲイン(霊的に生まれ変わること)したのです。
 日系教会の杉村牧師夫妻がよく食事に招いてくださっていました。ある時、先生が「教会でドラムをたたいてほしい」と言うので、「私なんか教会で奉仕するような者じゃないです」と言うと、「牧師の息子なのにイエス様のこと知らないな。イエス様は正しい人を招くんじゃなくて、罪人を招くために来られたんだよ。奉仕ができないくらい罪人だと思っている、そういう人のいちばん近くに主はいらっしゃる。そのイエス様を求めなさい」と言われました。後日、せいさん聖餐式を受けていて、「このパンとぶどう酒は私の罪のためにイエス様が死なれたことを表している」ということが心からわかりました。泣きながら、「イエス様ごめんなさい」と悔い改めたのが19歳の時でした。
 その後、韓国人のクリスチャンと知り合って韓国に行きました。そこで妻と出会って、その妻が行っていたのがオンヌリ教会だったのです。こんなすごい礼拝があるんだと驚きました。オンヌリ教会は世界宣教を目指している教会で、牧師のハ・ヨンジョ先生(2011年召天)が宣教のメッセージを語られるので、自然に献身へのチャレンジが与えられていきました。
 その後24歳で結婚し、オンヌリ教会のビジョンとともに日本宣教をしていきたいとの思いが与えられました。しかし米国で神学校を卒業する時、神様に明確に示されたのはチベット人への宣教でした。「なぜ日本じゃだめなのか」と葛藤しましたが、主が語られたのは、「日本を救うのはわたしの仕事だ。あなたはわたしに従いなさい」というものでした。それでチベット宣教に踏み出したわけですが、チベット地区はウイグル地区と同様に独立運動を続けていて、中国政府の圧迫が強い地域です。そのため外国人の滞在は2年までなので、隣国ネパールのチベット人難民キャンプに住んで、そこを起点にチベット宣教をしました。そこに8年間いて、主の導きにより日本に帰ってきました。
 「宣教」は聖霊の働きです。私は最初、自分の情熱で行う気持ちがありました。それが取り除かれる訓練が日々必要です。ですから、今は何かをするとき、聖霊の みこえ御声に耳を傾けつつ相手の方と接するように心がけています。今は東京での働きですが、どこにいても何をしても聖霊の御声に聴き従っていきたいと思っています。     (談)