「キリストの愛」を運ぶ方法

◆海外からの文書伝道レポートを紹介します

 私たちは、自らを「キリストを運ぶ者(Christ-carriers)」と呼んでいます。このことばは、私たちの使命であり、アイデンティティでもあります。キリストを運ぶ方法は一つではありません。クリスチャン一人ひとりに異なり、その置かれた場所や状況によってもさまざまです。私たちは、福音という良い知らせを人々の家の戸口まで届けます。高層マンションに暮らす人々にも、砂漠のテントで生活する人々にも届けます。
 しかし、私たちが運ぶのは福音文書だけではありません。絶望する人々に希望を、見過ごされている人々に関心や思いやりを届けます。渇く人々には水を、飢える人々には食べ物を届けます。そして、人生の答えを求める人々には、キリストという真理を届けます。
 何よりも、私たちは「キリストの愛」を運びます。それは、人となってこの世に来られた神の御子イエス・キリストに示された愛です。すべてを超えて人々の人生を変える、その愛を私たちは届けたいと願っています。キリストを運ぶ方法は「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という主の招きに応えるクリスチャンの数だけあります。
 EHC の世界的なネットワークには、さまざまな文化や地域で、創意工夫を重ねながら忠実にキリストを運び続けている人々がいます。ここでご紹介するのは、その働きのほんの一部です。これらの物語が、あなたの信仰を励まし、新たな一歩を踏み出す力となれば幸いです。「あなたもまた、キリストを運ぶ者なのです」

入出国が制限地域での証し①

 冷たい風が吹き抜ける通りを、ベン(仮名)は背中を丸めて歩いていました。道に落ちた小銭でも見つかれば、それで酒が買えるかもしれない―そんなことを考えながらうつむいて歩いていたのです。
 少し前に母親を亡くしたベンは、その深い悲しみとむなしさを紛らわせるため、酒に頼るようになりました。そして、次の一杯を手に入れるためだけに毎日を過ごしていました。
 「私は、自分の人生を少しずつ失っていきました。飲めば飲むほど、大切なものを次々と失っていったのです」
 近所の人たちは彼を避けるようになりました。兄弟や友人の中には、生きるために暴力へと走る者もいました。かつて彼を知っていた人々も、今では彼を恐れ、距離を置くようになっていました。
 「仕事もなく、兄弟も友人もいませんでした。路上で夜を過ごし、ゴミを拾い、同じような境遇の人たちと酒を飲む毎日でした。人生には、もう何の意味もないと思っていました」
 寒さと孤独の中を歩いていたある日、ベンは向こうから来た一人の男性とぶつかりました。顔を上げると、そこには自分と同じように路上生活を送っているように見える男性が立っていました。すると、その男性はベンを見つめて静かにこう言いました。「イエス様はあなたを愛しています」。そして、数日後に教会で開かれるクリスマスの集いへ招いてくれました。ベンは振り返ります。
 「母が亡くなってから、『あなたを愛しています』ということばを聞いたことは一度もありませんでした。拒まれることなく教会へ招いてもらえたことが、本当にうれしかったのです」
 当日、ベンは身なりを整え、大きな期待を胸に教会へ向かいました。教会では、多くの人たちが温かく迎えてくれました。ベンは、自分だけが場違いなのではないかと恥ずかしくなり、建物へ入るのをためらいました。しかし、誰一人として彼を拒む人はいませんでした。
 「教会の皆さんは本当に親切でした。親戚も兄弟も友人も、私を家に招こうとはしませんでした。でも教会では、私を家族のように迎えてくれたのです」
 集会が終わると、牧師はベンをそっと抱きしめ、彼のために祈りました。「こんな私を抱きしめてくれる人がいるなんて、思ってもみませんでした」。
 それからベンは毎週のように教会へ通うようになりました。そして今、アルコール依存からの回復への歩みを続けています。「牧師は、『酒を断つための忍耐と力は、神様が与えてくださる』と言いました。だから私は、そのことばを信じています」。そして、最後にこう語ってくれました。
 「私はイエス様を愛しています。イエス様が、私を愛してくださったからです」
 たった一言の「イエス様はあなたを愛しています」ということばが、一人の人生を変えることがあります。

入出国が制限地域での話②

 私の名前はテレサです。車椅子に乗っている夫は重い病と闘っています。眠れない夜が続き、食べ物にも事欠く日々を過ごしました。「もうこれ以上、この生活を続けることはできない」と思ったことも一度や二度ではありません。電気が止まる日もあれば、食べ物が尽きる日もあります。そして何より、この家からは希望が失われていました。
 そんなある日、クリスチャンのグループが私たちの家を訪ねてきました。彼らは多くの物を持ってきたわけではありません。しかし、私たちに最も必要なものを届けてくれました。それは、『いのちのメッセージ』という福音文書でした。彼らは神様の愛を語り、私たちのために祈ってくれました。私はその話を聞きながら、心の中で問い続けていました。
 「私たちがこんな苦しみの中にいるのに、いったい神はどこにおられるのだろう」そのとき、一人のクリスチャンが忘れられないことばを語ってくれました。
 「神様は、いつもすぐに状況を変えられるとは限りません。しかし、まず私たちの心を支え、その状況を乗り越える力を与えてくださるのです」
 彼らは福音文書を置いていき、「ぜひ読んでみてください」と勧めてくれました。その日の午後、私たち家族は居間に集まり、一緒にその冊子を読みました。
 そこには、いつも私たちとともにいてくださる神様のこと、苦しみを経験し、私たちの痛みを理解してくださるイエス・キリストのこと、そして目に見える現実を超えた希望について書かれていました。
 その日を境に、私たちの心は少しずつ変えられていきました。問題がすべて解決したわけではありません。夫は今も病と闘っています。生活も楽ではありません。それでも、私たちはもう孤独ではありません。
 苦しみの中にも平安があります。出口が見えないようなときにも慰めがあります。以前は信仰に関心のなかった母も、今では毎晩祈っています。そして私自身も、再び希望を見いだすことができました。