全クリスチャン人口の67%がグローバルサウスに! 隣人を愛せよ

EHC国際総主事 タナー・ピークより

 私たちが生きているこの時代に、クリスチャン人口の中心が世界レベルでシフトしていることをご存じでしょうか。かつてそれは西側諸国に根ざしていましたが、今日ではアフリカ、ラテンアメリカ、アジア、オセアニアを含むグローバルサウスへと移行しつつあるのです。現在、全クリスチャン人口の67%がグローバルサウスに住んでいると言われています。
 キリスト教は、私たちのリーダーシップや関与に影響を受けることなく繁栄し、私たちの手の届かないところにまで広がっています。キリスト教は常に異なる文化の中で新たないのちを吹き込まれ、新たなことばで表現され、異なる文脈の中で成熟しているのです。これはすばらしいことであり、美しいことです。
 私は、キリスト教におけるこの世界的なシフトは、歓迎すべき人類への招きであると信じています。私たちの信仰は、私たちの思いで操作したりコントロールできるものではありません。予測不可能で、止めることのできない神の働きがこの地上に広がっているのです。そして私たちにできることは、その事実に心を開くだけなのです。聖霊に心を開き、そして、すでに起こっている、また起ころうとしていることに対して主の招きに耳を傾けるということが何よりも大切です。
 また、この変化は私たちがお互いを必要としていることを思い出させるものでもあります。世界のキリストの体は、すべての民族や部族なしには不完全であり、私たちは互いに耳を傾け、共感し合い、すべての人がイエス様を見るようにと招かれています。
 あらゆる場所の、あらゆる世代の、あらゆる人のために。

キプロスEHCからの証し~険しい道を生きる祝福~

 私たちは、証しを分かち合うときに、イエス様の愛が人生を変えた歓喜の瞬間について語り急いだり、福音を語るとき永遠のいのちに焦点を当てるなど、物語の結末や目的地に目を向ける傾向があります。
 しかし、その物語の途中に、険しい、困難な道を歩むことが多々あります。もしかしたら今日、あなたはそのような状況にいるかもしれません。 神様が日々驚くべきことをなさるのを目撃する人々でさえ、苦しみの中を歩いていることがあります。キプロスで私たちのミニストリーをリードしているエマニュエル兄が、彼の思いを以下に紹介してくれました。
 キプロスは複雑な社会であり、多くの難民や希望を求める人々が住んでいます。キプロスはまさしく多くの人々にとって、険しい道を歩き続けるようなところです。ですから、ある意味、エマニュエルはその険しい道を日々生きているのです。彼の証しがキリストの臨在の平安をあなたにもたらすことを願っています。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん
 苦しみは、キリストに従う者として最も重視すべきテーマの一つです。私たちは、病気、不安、うつ、孤独、飢えに苦しむ人々の話をよく耳にします。私たちはほとんど毎日このような苦しみの中に歩む人々に会っていると言っても過言ではないでしょう。大抵の場合、私たちは目に涙を浮かべながら、神の子たちへの主の誠実さに感謝しながら帰路につくのです。
 私は、ご主人が私たちのミニストリーを通してイエス様を救い主として信じるようになった女性を訪ねて、たった今帰ってきたところです。彼女の名はアンナ、夫の名前はゲオルゴス・バリアンティス。彼女自身はまだ福音を受け入れていません。イエス様を、自分が崇拝している多くの神々の中の一つと思っています。アンナは最近、重大な健康問題だけでなく、不安とうつ病に悩まされるようになりました。時折怒りが爆発し、自分が何をしているのかわからずに、夫に向かって支離滅裂なことを叫ぶこともあるようです。ゲオルゴスは、主が彼女の心に触れてくださるよう祈り求めています。彼は痛みの中におり、彼女と共に苦しんでいます。
 私はゲオルゴスに、悲しみを味わい、悲しみをご存じであるお方、イエス様を思い出させながら、彼を励ましました。すぐに取り巻く状況が変わらないかもしれませんが、主は私たちと共にいてくださるのです。ゲオルゴスは、「ほとんどの場合、神様がどのように働かれるのか理解できませんが、私は神様を信頼し、主の恵みに頼り続けます」と語りました。
 神様は私たちに、彼を励まし始める前から、もっと人の話に耳を傾け、一緒に泣き、抱きしめることを教えてくださいました。以前、私はいつもすぐに話し出していましたが、今は、口を開く前に、耳を傾け、あわれみをもつことができるように神様が助けてくださいました。
 私たち夫婦も困難な日々を経験しましたし、今も経験しています。私たちは長い間、子どもを授かりたいと祈ってきました。多くの人が、「神様を信じるなら、なぜ子どもを授からなかったのか」と言って、私たちをあざけりました。イエス様のことを話したり、物語を読み聞かせたり、一緒に遊んだりする自分の子どもがいないのに、子どもを含めて他の人に神様のみことばを教えるのは容易なことではありません。
 正直に言うと、私は何度、神様に腹を立てながら眠りについたことでしょう。でも、私は神様のみことばで妻を励ますようにしています。キリストとそのみことば以外に、私たちが拠って立つものはないのです。古い賛美歌にあるように、「私は、砂のような沈むところではなく、キリストという堅固な岩の上に立っている」のです。神様は、私たちがキリストの目を通して物事を見ることができるように、キリストによって満たされることができるように助けてくださいます。「わたしの恵みはあなたに十分である…キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(IIコリント12:9、10)