洗礼を授ける前に聖書の何を伝えるべきか

鈴木 崇巨隠退牧師

私が関係してきた教会では、数か月から半年、礼拝に出席している求道者に、牧師が「ぼちぼち洗礼を受けませんか」と尋ね、「はい」と答える人に洗礼を施し、会員にしていました。もちろん、洗礼式の前に、数回の準備講座をもっていました。私もそのようにしてクリスチャンになりました。しかし、その時点では、キリスト教のことや聖書のことをあまり知りませんでした。
私が24歳で伝道者になってから、「これではいけない。日本の求道者に聖書の福音を伝えるためには、もっと伝道のことを知らなければならない」と思い、29歳の時に米国へ留学しました。そこで、聖書の伝道の基礎論を学びました。そして、神が世界を創造されたというところに、そもそもの伝道の基礎があるのだということを学びました。また、私たちが伝道するのは、イエス様が最後に「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28・19)という実践的な「命令」を出されたからです。考えてみれば当たり前のことを学んだのですが、なぜか私には新鮮なことのように映りました。
その後、私はビリー・グラハム伝道協会で8か月間、アトランタ大会の開催に関する一部始終を学びました。わずか数日の伝道集会のために約1年をかけて準備をするのです。それは想像を絶する緻密な準備でした。私たちは日本の教会の伝道集会のために十分な準備をしているでしょうか。また、私は特に求道者に伝えるべき「四つの法則」を学びました。わずか数ページの小さな紙きれのようなものですが、その奥には米国の西部開拓史で培われた伝道の、血のにじむような蓄積の全てが含まれていることを知りました。
その後、私は「日本の求道者に何を伝えてから洗礼を授けるべきか」の研究をしました。それは私の博士論文のテーマになりました。そこには、求道者に教えるべき内容として、聖書の構成とか十字架の5つの意味などを挙げました。
ところで、日本には「求道者」(シーカー)という言葉があるのですが、欧米では使わないのですね。「教会に行っていない人」とか「聖書のことを知らない人」などと言うだけです。日本という国は儒教の影響を受けているために「求道者」という言葉があるのです。欧米の伝道と日本の伝道は、全く違うところと、全く同じところがあるべきです。違うところは伝道の方法です。同じところは「何を伝えるのか」というところです。
私は日本に帰ってから、教会に仕え、伝道しながら、いくつかの点を私の求道者伝道のテキストに加えて自分なりの伝道をしてきました。それを元に、72歳で引退してから『求道者伝道テキスト』(地引網出版、825円)を出版しました。この手の本は安いからでしょうか、あるいは低く見られるからでしょうか、出版社は出すことをためらいます。しかし、現在までに約1万冊発行されています。また、『一年で聖書を読破する。』『小学生のための聖書がまるごとわかる本』(共にいのちのことば社)を出版し、数年前に発行した前者はロングセラーになっています。求道者だけでなく信者になってからも、もっともっと聖書の信仰を深く理解してほしい、という思いもこめています。