ケニアで出会った友を愛す

公文和子小児科医 「シロアムの園」代表

 クリスチャンホームに生まれた私は、幼い頃から教会学校や教会付属の幼稚園に通い、聖書のお話をぐんぐん吸収して育ちました。中でも、「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15・13)というみことばと、このみことばと共に語られた、アウシュビッツで他人を救って処刑されたコルベ神父などの話に、大きな衝撃と感動を覚え、子ども心に、私も人のために生きる人生を歩んでみたいと思いました。
 その思いは心のどこかにずっとあり続け、私はその後、医師になり、開発途上国の子どもたちに仕えたいと願うようになっていました。しかし、実際に現場に出て、過酷な環境の中、大勢の子どもたちが死んでいくのをなすすべもなく見送るしかなかったとき、「私が力になりたい」などと思ったことは、ただのうぬぼれだったと思い知らされました。
 その後、2002年から、ケニアで働くことになりました。このケニアの教会に連なる中で、「命とは神様のもの。医師であろうとも、神様に用いていただくのでなければ何もできない」ことを心から理解することができるようになりました。
 そして、小児科医として働き始めた小さなクリニックで、重度の障がいがある少年の輝くような笑顔に出会った時、私は、彼の中にイエス様がいて「私の友になりなさい」とおっしゃっているのをはっきりと感じました。それが、2015年に、障がい児支援事業「シロアムの園」を始めたきっかけになったのです。
 ケニアでは、障がいは親の罪の報いだという迷信があり、多くの障がい児が家の中に隠されるようにして暮らしています。シロアムの園では、そんな子どもたちを心から歓迎し、各々に合ったリハビリや食事、医療、教育などを提供し、今まで経験してこなかった人とのふれあいを経験してもらっています。その中の一つであるキリスト教教育は、私が、これ抜きで彼らに寄り添うことはできないと考えていることです。シロアムの園の子どもの多くは、身体的・知的・発達的問題を抱えており、何かを読んで理解することはできません。もちろん、五感に訴える工夫をして聖書を伝えていますし、毎日礼拝もしていますが、子どもたちがそれをどこまで言語化して理解しているかはわかりません。
 でも、イエス様は「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。……神の国はこのような者たちのものなのです」(マルコ10・14)と言ってくださる方です。このイエス様が、障がいのためにはっきりとした信仰告白をできない子どもたちを拒否されるはずがないと信じています。ですから、シロアムの園では、まずスタッフ自身がイエス様からしっかりと愛をいただき、それをことばでも、ことば以外のコミュニケーションでも、子どもたちに伝えていこうとしています。そして、一人ひとりの子どもたちの救いを真剣に祈り求め、できる限りの努力をし、結果は神様におまかせしようと思っています。