拙い筆力ながら主の栄光を伝えたい

山形優子フットマンフリーライター

小学校からミッション・スクールに通い、14歳で洗礼を受けました。しかし、思春期には疑問が噴出し、若者らしい答えを求めて高校3年で1年間米国に留学、その時得た当時の結論は「人道主義」。帰国後は教会を飛び出し、大学時代は主に反抗。それでも再度、主は私に米国留学の機会を下さり、行く先々に素晴らしい米国人クリスチャンたちを配置され、私はとうとう白旗を掲げ、信仰に立ち返りました。
結婚で英国に渡り、今年で40年。職種はライターですが、この道を開かれたのは主でした。子育てに追われていた時「今しかない」と、有志と共に日本人の牧師を招き、聖書勉強会を開催。旧約を読み終えた際「行って主の御名を伝えよ」との声が聞こえました。直後に牧師から「ロンドンにある日系の新聞社が、女性記者を募集中」との情報を頂きました。ジャーナリズムには興味も憧れも皆無でしたが、夫の家族経営会社に問題が生じた矢先で、むしろその提示給料額が住宅ローンと同額だったのが魅力で応募したのが35年前のことです。 
やがてフリーに。並行して徐々に仕事量を減らし、地元教会の助けを得て、今度は若いロンドン駐在の日本人女性たちと共に聖書を読む会をスタート。日本で長年活躍した英国人リタイア宣教師にリードをお願いしましたが、彼女が高齢を理由に、私にバトンタッチし、今に至ります。いつ頃からでしょう、拙いながら、自分の筆力を通して福音を伝えたいと願うようになったのは。けれども、いくら祈っても道は閉ざされたまま。しかしある日、ロンドンに一時的に戻っていた日本向け英国人宣教師から急に連絡が入り「里帰りするとき、訪ねてみては?」と、なんと私が日本へ飛び立つ前日に「いのちのことば社」編集者の連絡先を手にしたのです。
数年後、2017年に同社の依頼でテニスの錦織選手のコーチによる自叙伝「マイケル・チャン勝利の秘訣」を邦訳し、刊行。クリスチャン新聞のコラム連載も2年担当し、やっと「聖書と物書き」が繋がったと思いきや、今度は私自身、この世の仕事に未練たらたら。心に霧がかかった状態で仕事を続けていると、今まで信頼していた編集者たちから不当な扱いを受けたり、取材先に裏切られたり、散々な目に。初めは試練と思いましたが、やがて裏に主の恵みがあると気づきました。福音の傍ら、世の仕事もと、うじうじする私を見て、主自らが、どんどんと仕事を整理してくださり、私を整えてくださったのです。
霧は晴れました。訓練された35年間は、主のまばたきにも満たない瞬時。私が母の胎にいた頃から憐れまれ、慈しみの杖と鞭とで、いつの日か主の栄光を伝える器になるようにと、天に召される日まで私を訓練し続けてくださいます。『讃美歌21』の522番が聞こえます。「キリストにはかえられません、世のなにものも」。福音を伝える私の一歩は今からはじまり、はじまり。

イギリス人と結婚して渡英40年になる山形さんの著者『季節で彩る こころの食卓』(いのちのことば社)には、英国伝統の家庭料理のレシピと、エッセイが掲載されています。