主ご自身が福音を届けたいと願っておられる

宣教師C. S

 「駅でチラシ配りなんてしないで、あなたの『友だち』にチラシを渡して集会に誘ったらいいのに」。成果を出して褒められようとしている私の心を見透かしたかのように、伝道団体のスタッフは言いました。高校生向けの伝道集会をすることになり、私は案内チラシを会場の最寄りの駅で配ろうと提案しました。しかし、私は毎日顔を合わせている学校の友人には集会のチラシを渡そうとは考えていませんでした。どうせ誰も来ない。いや、できれば来てほしくない、とすら思っていたのです。クリスチャンの輪の中にいる自分と学校にいる時の自分は別人でした。伝道の動機を探ったこの言葉は、高校生だった私の心に深く刻まれました。
 私は幼い頃からクリスチャンであることを隠して生きてきたわけではありません。しかし、私の周りにいるノンクリスチャンに伝道することはとても難しく思えました。周りの友だちにイエス様のことを伝えている人がいると、とてもまぶしく見えました。自分には到底できない。そう思っていました。ところが、主は伝道の一歩を踏み出せない私の背中を押してくださいました。私の祖母に個人伝道をする機会が与えられたのです。
 長年、祖母のために祈ってはいたものの、実際に福音を伝えることはなかなかできませんでした。祖母の家を訪問した際、「今日こそ福音を伝えなくては」と思うのに、なかなか勇気が出ません。近くの公園に行って祈っていると、その中で一つのことがはっきりと分かりました。それは、「主ご自身が祖母に福音を届けたいと願っている」ということでした。だから祖母の前に今、私がいる。恐れはまだ心にあったものの、突き動かされるように家に戻って伝道しました。祖母は「あなたがイエス様を信じて幸せに生きているのは知っている。でも、私には守らないといけない宗教がある」と答えました。私はがっかりすることはなく、むしろうれしくなりました。祖母と信仰について話ができたという喜び、そして、主ご自身がきっと祖母に語りかけてくださるはずという期待が湧いてきたのです。
 その後しばらくして、祖母は急に体調を崩し、危篤となりました。私は夜中に祖母の病院に駆けつけて祈り、持っていた聖書に挟んでいたみことばカードを枕元に置いて帰りました。そこには「子よ。あなたの罪は赦されました」と書かれていました。祖母の容体はそれから回復し、2か月後に訪問した際には話せるほどになっていました。そして、驚くべきことに、そこで祖母の信仰告白を聞きました。祖母がいつどのように信じたのかは分かりません。しかし、そこにはイエス様にはっきりと出会い、感謝と平安の中を歩んでいる祖母がいたのです。当時、私は将来のことで悩んでいたので、そのことも話しました。すると祖母は、「そのまま祈ったらいい」とアドバイスをしてくれました。幼子のような素直な信仰から来る、確信の詰まったことばでした。しばらくして祖母は主のもとに召されました。
 将来への願いも不安も、そのまま祈っていく中で、私は宣教師として東南アジアの国で仕えるようにと導かれました。現地の言葉と文化を学びながら、主が出会わせてくださる方々と共に生きています。成果をアピールするために働くのではなく、主ご自身がこの国の人たちに福音を届けたいと願っているゆえに私がここにいるのだと、何度も確認しながら日々歩んでいます。