神の鉛筆になりたい

クリスチャンシンガー吉村美穂

 私は小さい頃から歌が大好きで、音楽大学を卒業後、ウィーンに留学し、約7年半、声楽の学びと歌の仕事をしていました。でも、競争の激しい世界で人と比べてばかり、自分に自信もなく、喜びも感じられなくなっていました。しかしある時、「神様の愛を伝える者になりたい」という思いが与えられ、「私の歌はそのためにあるのだ」と喜びにあふれました。そして日本に帰国し、クリスチャンシンガーとしての歩みが始まりました。
 ウィーンでの仕事を辞めて、ゼロからのスタートでしたが、神様はすばらしいタイミングで私を導いてくださり、たくさんの助け手や同労者を備えてくださいました。来年2026年で20周年を迎えます。しかし、これほどの年月の中で、いつも霊肉共に順調だったわけではありません。日本では特に、音楽家として食べていくことは難しく、ましてや伝道の働きにおいては、ボランティアですることも多く、経済的に不安を感じる音楽家は多いと思います。また、私自身の弱さのゆえですが、同じクリスチャンのアーティストたちが活躍している様子を見ると、「私も頑張らなければ!」という焦りのようなものを感じたりした時期もありました。結局は他人と比べてばかりのウィーン時代と何も変わっていない自分に情けなく思うこともしばしばでした。
 そんな、少し疲れを感じていた頃、友人と一緒にプライベートの旅行に行きました。楽譜も衣装も持たず、ただゆっくりするための旅はとても楽しいものでした。しかしそこでアクシデントが起きました。悪天候のため帰りの飛行機が飛ばず、予定より1日長く滞在することになったのです。その日は日曜日だったので、せっかくだからとその土地の教会を調べて、礼拝に出席しました。
 礼拝前にかかっていたBGMを何となく聴いていると、なんと、それは私のCDだったのです。それを伝えると、教会の方もとても驚いて、「よかったら礼拝の中で賛美してください」と言われました。今回は何も持たない旅だったので、どうしようと思ったのですが、バッグの中に1枚だけカラオケのCDが入っていたので、その中から1曲賛美をしました。それだけでも感謝なことでしたが、歌った後に一人の女性が前に出てこられました。
 その方は、前の週にお母様を亡くされ、看病の期間が長かったので、つらい時期が続いていたとのことでした。そんな時に、私のCDをもらい、それを聴いて心が慰められていたのだそうです。お母様が亡くなられたのはとても悲しいことですが、まさかその次の週に本人(私です)が来て、生の賛美が聴けるなんて、「本当に神様からのプレゼントです!」と涙ながらに語ってくださいました。このことは、私にとって衝撃でした。神様は、私ができるかできないかや、準備できているかできていないかにかかわらず、その大きなご計画の中で、私を用いてくださるのです。私が頑張るのではなく、私を通して神様が成してくださるのであれば、私自身は欠けのある、ありのままの姿でよいのだ、とその時わかりました。
 私の賛美活動の一つである、オリジナルのミュージカルに「マザーテレサ」があります。マザーテレサは、「私は神の鉛筆です」と言いました。鉛筆は、人が動かすとおりに動いていくだけ。私も、神様の鉛筆として、神様が動かしてくださるままに歩んでいきたいと思います。