置かれた場所で咲きなさい

一人暮らしをする高齢の教会員がパーキンソン病と認知症を患い、やむなく、新宿区のアパートから茨城県の老人ホームへ移住をすることになりました。お別れの日、さびしいという思いからか涙を流されていた主にある兄弟の姿にいたたまれない思いがしたものです。
81歳の彼より5歳も高齢の筆者にとって、明日は我が身と心配は募るばかりです。教会にも集えなくなり、介護が必要となる状況で、後は老人ホームで余生を過ごすようになったとき、どのような奉仕ができるのかと問題で頭がいっぱいになったとき、ハルエさんのことを思い出したのです。
筆者が、『百万人の福音』誌の取材でハルエさんの元を訪ねたのは今から40年も前のことでした。高知県の土佐の教会に通っていたハルエさんは、当時で80歳を越えていましたが教会学校の教師をしていました。牧師は「いつもハルエさんの祈りに支えられています」と語っていました。
土佐で生まれたハルエさんは、18歳のとき、貧しい家族を支えるため遊郭へ身売りをされ、それ以来、戦争を挟んで、水商売の世界で苛酷な人生を歩んできました。50歳を過ぎたころ、ハルエさんは郷里の土佐に帰還、小料理屋を開いたのです。そこで、お客として来たクリスチャン女性に導かれて信仰の世界に入りました。
筆者がハルエさんを訪ねた際に驚いたことがあります。市営住宅の一室に通され、最初に目にしたのは分厚い祈りのノートでした。そこには、何百という人名が記されており、その中に筆者の名前もありました。アジアの苦難の中にあるクリスチャンを助ける働きに参加していた私のことを憶え、何年も前から祈っていたというのです。毎朝、1時間以上とりなしの祈りをするのが、ハルエさんの日課になっていました。
2度目にハルエさんに会ったのは、92歳になり、老人ホームに入居していたときです。生活保護を受ける身で、老人ホームでも個室に入ることはできず、相部屋に8つのベットがあり、隣はカーテンで仕切られていますが、その一つのベットがハルエさんの居住部分のすべてで、ベットの上には聖書とあの祈りのノートが置かれていました。
車椅子に乗ってきたハルエさんと施設の中の休憩所で交わりを持つことになりました。ところが、互いに信仰の話をしようとしたとき、突然、施設にいた一人の老婦人が話に割り込み、自分の自慢話をとうとうと始めたのです。私はイライラしながらハルエさんの方を見ると、なんとハルエさんはその婦人をとがめるでもなく、優しい目でじっと婦人の話に耳を傾け、話が終わったとき、一言、「あなたは、本当に優しい人なのね」と相手を包み込むように言ったのです。すると、突然、その婦人が「ワーッ」と声を上げて泣き出し、「そんな優しい言葉をかけてもらったことはなかった。うれしいよう」と言ったのです。ハルエさんは施設に入居している人々、そして従業員全員のためにも毎日祈っていたのです。
施設を離れるとき、スタッフの一人が「ハルエさんは、いつもお祈りをしています。いじわるされても、その人のために祈っています。私も、ハルエさんのような生き方がしたい」と言われたことが忘れられません。