漫画を通して伝えるキリストの恵みとあわれみ

みなみ ななみイラストレーター

 私が神様を信じたのは、アメリカの高校に留学中のことでした。知り合いも少なく、一人で家にいる長い時間、本好きの私は、ホストファミリーの家にあった雑誌などを読みまくりました。熱心なクリスチャンの家には、あちこちにキリスト教の雑誌があり、本や文章から「クリスチャンってこんなふうに考えるのか」「神様って本当にいるのか」と考えさせられました。
 その後、「クリスチャンになる」と決心してすぐ帰国。まだ信仰が何だかわからなかった頃、日本の教会の本棚にあった信仰書も読みあさりました。作家の三浦綾子さんがクリスチャンになるまでを綴った『道ありき』という本には、特に感銘を受けました。これらの本がどれほど自分の助けになったことか。本が一冊もなければ、たぶん、今の自分はなかったでしょう。「文書伝道」なんていうことばは知りませんでしたが、「文書で神様の恵みを伝える」ことのすばらしさは自ら実証済みでした。
 神様を信じたばかりで帰国した私は、救われたのがうれしくて、周り中に神様の話をしていました。しかし「もうその話は、いいから」と何人かに言われました。今思えば、言い方も最低でした。「私は真理を知っている、あなたは知らない、だから私が教えてあげよう」という尊大な態度でした。神であるのに人となられ、死に至るまで神に従順に、ひたすら身を低くされたキリスト。なのに私は、その謙遜な姿とは似ても似つかず…。キリストの香りを放つどころではありませんでした。
 話の内容も、主題が飛んだり、行ったり来たりして「何言っているかわからない」と言われることが多々あり、だらだらしゃべっても伝わるわけではないことを自覚し始めました。
 短大に入学後、キリスト者学生会(KGK)の合宿に参加しました。そこで、自力で信じている気になっていた「尊大な」自分の罪が示され、初めて心から悔い改めました。講師の呼びかけに応え「私の人生の主導権を神様におささげします」と祈ったのです。自分の人生も仕事も、神様のために用いてください、と心から願い、祈りました。そして美大生だった自分の作品も神様に喜ばれるものであるようにと願いました。
 卒業後、イラストレーターとして企業から依頼された絵を描きつつ、いのちのことば社にも作品を持ち込み、お仕事を時々、頂くようにもなりました。自分の絵が神様のことを伝える働きに少しでも参加していると思うと、うれしく思いました。
 数年後、自分がキリストを信じた経緯と恵みを漫画で描くよう導かれました。私は、長い文章は書いたことがありません。しかし、遊びでも仕事でも、漫画はずっと描いてきました。だから、漫画で描くのが私にとってはいちばん自然なのです。そうして『道ありき』をまねて、「小さな門につづく道」という題で漫画を描き、自分がキリストを信じるまでと、そのすばらしい恵みについて綴りました。その後も、神様の恵みとあわれみで、絵と文章を通して神様の恵みを伝える機会を頂いていることを心から感謝しています。