ディボーション誌「マナ」創刊150号

毎日みことばに生かされるためのガイド

「マナ」誕生の時のこと

ディボーション誌「マナ」の誕生は2009年秋のことでした。創刊のきっかけには、少々込み入った事情がからんでいましたが、今振り返ると、神の摂理の御手のうちにあって、主のみこころのみが成ったというほかありません。
当時、諸教会で個人ディボーションの充実が説かれ、信徒間ではディボーション誌を用いて、みことばの学びや祈りの導きを得ながら、静思の時をもつというかたちが広まっていました。実際、ディボーション誌と呼ばれる雑誌がその頃いくつも生まれていました。もちろんそれ以前からディボーションを忠実に守るクリスチャンは多く、安定した読者を抱える定期刊行誌もあり、「百万人の福音」「信徒の友」のような総合誌の中にも聖書日課は掲載されていましたし、『365日の主』『荒野の泉』といった定評ある霊想書も数多く出版されていました。しかし、この当時のディボーションへの求め、熱心さはかつて見られなかった高まりを示していたのです。これは、1990年代後半以降、教勢の低迷が顕著になっていたキリスト教会にあって、聖書中心の信仰を旨とする福音派教会において自然の流れだったのかもしれません。
そんな中、いのちのことば社は18~20世紀のリバイバリストたちの霊想書・説教集の出版において特色のある出版社でしたので、その動きに対して強い関心をもちながらも、先行誌も多いことから立ち上げを控えていました。そんな中、特定の神学的立場、教派色、あるいはリーダーの強い個性に拠らないものがほしいとの声が多く寄せられ始め、それによって、この働きに着手しようとの確信が与えられたのです。
創刊の準備に約4か月を要し、誌名、体裁、聖書箇所の区切り、執筆者の選定といった作業を急ピッチで進めていきました。中でも、本誌の最も重要な編集方針については多くの時間をかけ協議をしました。

  • 毎月、新約と旧約を半分ずつ学んでいき、3年間で聖書全巻を通読できるようにする。(注:現在のスケジュールは異なります)
  • 聖書の解説・メッセージは短く平易に。
  • 聖書的立場の教派から広く執筆者を選び、個別の記事の筆者名は伏せ、主の語りかけとして受け止めやすくする。

その後、日課の構成や子細な部分は、実情に合わせてコンパクトにされていきましたが、13年目150号に至るまで、その主要な方針は変わらずに貫かれているように思います。
鴻海 誠(「マナ」初代編集長)

「マナ」創刊150号を感謝します

「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる」(申命30:14)
神のことばが誰にでも聖書を通して与えられ、いつでも自分で聖書を開いて御声を聴ける、それは宗教改革の精神そのものであり、本当にうれしいことだと思います。
みことばが食べ物になぞらえられている箇所は数あれど、荒野に生きる人々を毎日生かしたマナを誌名に掲げた「マナ」もまた、みことばがいのちの糧であることを皆様に覚えていただけるものではないでしょうか。私自身は創刊150号の後ろのほうでスタッフに加えられたばかりですが、導きに感謝しながら、みことばのおいしさを損なわないよう、すべての作業に主ご自身の導きを待ち望んで奮闘中です。
「マナ」の主役は何よりもみことば。一方で、「マナ」を用いて日々聖書通読に励む読者の皆様もまた主役です。さらに、豊かな説き明かしをお寄せくださる先生がたのお力添えで、「マナ」ができ上がります。森住ゆきさんのちぎり絵も、号数と同じ150点が表紙を彩りました。
これからも許される限り、皆様とご一緒にみことばを味わいながら、主が「マナ」を祝福してくださるよう祈ってまいります。
間島 昌枝(「マナ」編集担当)