イエスのまなざし

坂岡隆司(ミッションからしだね理事長)

 コロナ禍の昨年、私たちの福祉施設で「ガウンプロジェクト」という活動を行いました。これは、ポリ袋を使って簡易ガウンを作り、それを病院や介護施設に届けるというものです。地域の方にも協力を呼びかけたところ、たくさんのカンパを頂きました。
 最初、私たちだけで作業していましたが、そのうち、実は今見えていないが、最も困窮しているところがあるはずで、そこに仕事を回して支援していこう、ということになりました。そこで、ある方のつてで、大阪で難民など在留外国人の支援をしているNGOに声をかけたところ、即刻喜んで引き受けてくれました。というのは、今回のコロナで、彼ら在留外国人たちの生活は完全に「干上がって」しまい、そこにきたありがたい話だったとのこと。
 「つい先日、一時しのぎのお金を支給したところでした。でも、これは彼らの誇りや尊厳を傷つけるもので、胸が痛かった。彼らは働けるのに、何もできないという悔しさもあった。それだけに、このガウン作りはどんなに彼らを力づけたか。協力金もうれしいが、それ以上に、体を動かして社会に貢献できることが、彼らにとってどんなに大きな喜びであったか」と、NGO代表のMさんは熱く語っていました。私たちが目指したところも、実はそれでした。人々の善意の詰まったカンパ。それを、困窮した人たちに何とか届けること。同時に、彼らの尊厳をとことん守ること。それが、このプロジェクトの肝でした。
 釜ヶ崎で活動をしている本田哲郎神父がこんな話をしています。 (注)
 ある時、「ふるさとの家」で路上生活者の散髪をしていたら、前夜の夜回りで声をかけた人が来て、こう言ったと。「夕べはおおきにな、…だけど、ああいう姿、娘には見られたくないわ」。神父は言います。「その時は、すごく喜んでいたんですよ、彼。だけど、そうやって、人のほんとの意味での尊厳というのかね、…彼の本音ですよ」
 これまで私は、同志の仲間たちと、地域で暮らす障害者の方々の支援をしてきました。その中で、最も大切なこととして考えてきたのは、一言でいえば、上の話に見るような「人としての尊厳」だったように思います。
 そのお手本は、目の前の一人一人に向けられた、主イエスのまなざしにあります。ベテスダの池に伏せる病人に「良くなりたいか」と問われたイエス。失敗してもなお迷い続けるペテロに、「あなたはわたしに従いなさい」と宣言されたイエス。裕福な青年に「あなたはなお一つを欠いている」とズバリ突かれたイエス。ラザロの死にことばもなく涙を流されたイエス。そこには、神が創造され、愛しておられる一人の人格を極みまで尊ぶ、真実なまなざしがあります。それに学び、福祉を通して、なおそこを求め続ける者でありたく願っています。

(注)奥野さんを支える叫ぶ石の会「Crying Stones」2018.3月号より。「ふるさとの家」は本田神父の活動の拠点。