コロナと盲人信徒

福音点字情報センター協力委員長
影山範文

新型コロナウイルスのために、私たちの生活は大きく変わりました。盲人とそれを取り巻く人の日常の歩みも例外ではありません。今回は、コロナの影響で盲人の生活、特に教会生活がどのように変わったのかを、幾人かの方々への取材を基にご紹介します。

盲人たちが異口同音に話していたのは、礼拝がオンラインになって、一緒に集まる機会がほとんどなくなったということです。それに伴って信徒どうしの個人的な交わりが激減し、寂しさを覚えている人がたくさんいました。特に聖餐式にあずかれないことで、それまで毎月のように感じられていたイエス様の十字架の現実味を覚えられなくなったのは、霊的な生活で致命的だと語る人のことばに、私も自分の信仰を問い直される思いでした。交わりの点では、礼拝が入れ替え制だったり、そうでなくても、感染防止のために早々と解散するので、牧師に説教の感謝を伝えたり、説教でわかりにくかった点を尋ねたり、信徒どうしの分かち合いができないのを残念に思う声がありました。一方で、牧師夫人に思い切って相談したのがきっかけで、礼拝後の分科会の1つに、オンラインで加われたと喜んでいた人もいました。

礼拝の賛美については、オンラインでは声を合わせて歌えないのを残念がる人がいた一方で、自分の声は他の人に聞こえないから、ある程度大きな声で歌えるという人もありました。ある教会の週報に「賛美は心をこめて小さな声で」と書かれていた話をどこかで聞いて、苦笑しつつも、感染防止のための並々ならぬ気遣いを感じ、祈らされました。

また、これも感染防止の立場から、「公共交通機関を使わないと来られない方は来会をご遠慮ください」と言われた話を聞いて、趣旨はよくわかるものの、私も疎外感を禁じえませんでした。盲人信徒は公共交通機関を使わないと教会に行けない人がほとんどなのですから。

さて、先のまったく見えないこの期間、私たちはどう過ごせばよいのでしょうか。私は今こそ主が語られたみことばに心を留めるべきだと考えます。「見よ、わたしは新しいことを行う。…必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」(イザヤ43:19)。

主が許されたコロナ禍で、やはり主が与えられたハイテク技術と、人に備えられた思いやりと、私たちが賜ったイエス様の愛を用いて、主がどんなにすばらしく新しいことをなさるのか、期待と喜びをもって祈っていきたいものです。