郵便受けはまるで私たち人間の姿を映しているようだと感じました。

芥見キリスト教会
 (愛知県半田市)

 
 クラウス ギーベラー(ドイツ)

私は日本・愛知県半田市の南部で、「オイコス・プロジェクト」の一環として約5,000枚のトラクト(福音冊子)を郵便受けに配布しました。
配布期間は約4週間にわたり、すべて無事に終えることができました。

活動中、誰にも妨げられることはなく、不親切な言葉をかけられることもありませんでした。
むしろ、私の姿を見かけた方々の中には、励ましの声をかけてくださる方もおられました。

主に一戸建ての多い地域を回りましたが、駅や商業地区の近くでは集合住宅もありました。
中央の郵便受けがない建物では階段の上り下りが大変でした。
おそらく、配布のために約20万歩ほど歩いたと思います。

配布をしているうちに、郵便受けの多様さに気づかされました。
小さいもの、大きいもの、芸術作品のように美しいもの、錆びついて今にも壊れそうなもの、丁寧に手入れされたものもあれば、雑草に覆われたものもありました。
防犯や防雨のために工夫されたもの、ホームセンターの既製品、個性的に作られたものなど、まさにさまざまでした。

郵便受けの位置も、すぐに見つかるところにあるものもあれば、生け垣や壁の中に隠れていて探すのに苦労するものもありました。
素材も金属、ブリキ、プラスチック、木といろいろで、きれいなものもあれば汚れたものもありました。
定期的に空にされているものもあれば、チラシや手紙であふれているものもありました。

このように見ていくうちに、郵便受けはまるで私たち人間の姿を映しているようだと感じました。
郵便受けが持ち主を少し表しているように、私たち人間もそれぞれ個性があり、見た目や性格、立ち振る舞いが異なります。
立派に見える人もいれば、静かに隠れている人もいます。
整理されている人もいれば、混乱の中にいる人もいます。
しかし、神様はそのすべての人を愛しておられます。

華やかで立派な人だけでなく、錆びついたように見える人も、神様の愛の対象です。
見た目がみすぼらしくても、神様がその人を見捨てたということではありません。
イエス・キリストはすべての人のために十字架にかかられました。

私たちが自分の人生を信頼してイエスに委ねるとき、私たちは神様が喜ばれる郵便受けのような存在となるのです。