祈る中でトラクトを渡すよう聖霊様に促され、話しかけることに導かれました。

関西聖書学院
 (奈良県生駒市)

関西聖書学院 3年生
今回、用いられたトラクトは「たいせつなあなたへ」です。
私の教会では、定期的に公園伝道へ行きトラクトを渡したりします。
今回のトラクトを持って公園伝道に行った際に、受け取る子供たちの反応がいつもと違い喜んでいました。
子供たちは絵本を読むように、このトラクトに見入っていました。
実際にこの本を買って全部読みたいと話す子もおり、その場に一緒にいた母親に交渉し買ってくれるという事になりました。
今回は教会からプレゼントするという形で本を渡すことができました。
また、子供だけでなく、教会のご近所に住むご婦人もトラクトを読み、このトラクトの 3ページ目に書かれている「愛を得るために必死に頑張っている。
世間の評価は高まっても、心の中は不安とストレスでいっぱい」「愛されている実感を持てず、見捨てられているのではないかとおびえ、不安に飲み込まれていきます」という言葉が、まさに今の私であると話してくれました。
この事をきっかけに教会に足を運んでくれるようになり、交わりの時間をもつ機会も増えています。彼女が救われるよう祈っています。



関西聖書学院 2年生
夏休みの終盤、出張で加古川に宿泊しました。
調べ物をしていて、ふと日本神話で創造神とされる「あめのみなかぬし」というカミの名前を思い出し、ググッてみたところ、宿泊先の近くにそのカミを祀る神社があることが分かりました。
仕事の最終日は、昼過ぎに終わったのと、また主が行くように示しておられ、そのために時間を作ってくださったように感じ、その神社に行ってみることにしました。
とても小じんまりした神社で、綺麗に整えられていましたが、誰もいませんでした。車に戻ってから、「神主さんに会い、証しできないか」と思い直し、トラクトを手に車から降りてみると、もう 1 台車が停まっていました。
話しかけてみたところ、姫路から来られた方で「有名なので時々お参りに来る」とのことでした。
もっとゆっくりお話しできればとも思いましたが、もう帰ろうとされていたので、急いでトラクトを出し、「横田早紀江さんって知ってはりますか?」「大変な苦しみの中にあっても、神さまに信頼して、クリスチャンになったそうです」とお渡ししました。
結果は分かりません…が、神さまがピンポイントに機会を与えてくださったと感じたので、動いてみたら、人が与えられました。
神さまご自身が、僕らの想像を遥かに超えて働かれる方だと知っているので、信仰によって一歩踏み出し、あとは主にお任せします。この方が救われるようお祈りください。



関西聖書学院2年生
大切なきみのトラクト版を教会に置かせてもらいました。
教会の中には既に絵本を読んでいる方も多く、多くの人が興味深く手に取っていました。
その中には中学、高校の教師をしている方もいて、自ら「生徒たちに配る」と言って配ってくれました。
他の人と比べてしまったり、多感な時期にある中高生ですが、このトラクトを通して存在そのものを認め、愛してくださる神様の心が届いたと思います。
今後も、このような一冊一冊がきっかけとなり、多くの若い世代が自分の価値に気づき、希望を持って歩めるよう願っています。


関西聖書学院1年生
7 月に沖縄に滞在していた時、沖縄にある YWAM のチームが毎週土曜日に北谷町の海岸で路傍伝道をしているということで、参加させていただきました。
賛美をしながら、通りがかる人に話しかけたり、座っている人に話しかけ、機会があれば福音を伝える時間を持つことができました。
その中である親子に出会いました。
母親と一人の息子がいる親子でした。
祈る中でトラクトを渡すよう聖霊様に促され、話しかけることに導かれました。
少し話すなかで、彼女が今は教会にはいっていないけどクリスチャンであり、シングルマザーであること、また離婚する前までは教会にも行っていたことも聞きました。
信仰的な話はあまりできませんでしたが、「大切な君へ」のトラクトを渡すことができ、また息子さんとも一緒に遊んだり、良い時を過ごすことができました。
彼女が今どのような生活を歩んでいるのかはわかりませんが、このトラクトを通して彼女が神様の愛を思い出し、また触れられる機会として用いられること信じています。
また今回の出会いを与えてくださった神様に感謝します。


関西聖書学院1年生
妹からある話を聞いて、このトラクトを自分のマンションに配ろうと決心しました。
それは、私のマンションに住んでいる妹のお友達の話です。
妹は久しぶりに、そのお友達と最寄り駅の電⾞のホームで出会って、近況をシェアし合えたそうです。
そのお友達は⽬を潤させながら妹に、3週間前にお⺟さんが病気で亡くなったことを教えてくれたそうです。
それを聞いた時、私は胸が締め付けられました。
同じマンションに住んでいて、しかも私はその⼦のことを時々見かけていたのです。
もしかしたら、見かけたその時、その⼦はとても辛くて、寂しい思いをしている時だったかもしれない。
と思わずにはいられませんでした。
それと同時に、その⼦だけではなくて、このマンションにはもっとたくさん、その⼦と同じような思いをしている⼈たちがいるかもしれない、と思ったのです。
そして、この私が住んでいるマンションにこそ、神様の愛を伝えないといけないと思わされました。