主の時に実るもの

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」(伝道11:1)
新年明けましておめでとうございます。今年が、多くの人にとって新しい人生の始まりとなることをお祈りします。そのために、私たちが福音の「種まき」にますます励んでいければと願っています。私自身が、その恵みにあずかった一人だからです。
私が小学校2年生のとき、当時2歳だった一番下の弟がバスに轢かれて亡くなりました。約7年後に、友人から教会に誘われたとき、そのことをふと思い出しました。人生で初めて、牧師とクリスチャンたちに出会い、その人々の賛美と祈りを聞いたとき、とても新鮮な喜びを感じました。私の感謝の喜びに満ちた青春時代は、1963年2月10日の信仰決心、2月24日のバプテスマ受浸に始まりました。同年4月14日、私は主の召命を感じ、生涯、キリストの福音宣教に献身する決心をし、それを教会に表明しました。そのすべてが神様のご計画と愛の導きだったと思います。その時17歳だった私は、今年80歳になります。
私はクリスチャンホームで育ったわけではありません。しかし、両親は私がクリスチャンになり、教会生活を始めるのを応援してくれていたように感じていました。実は、父の学生時代の英語教師は、近くにあったミッションスクールから派遣されて来ていたアメリカ人女性でした。しかし彼女は、突然の自動車事故で亡くなってしまいました。この先生が息を引き取る前、事故を起こした運転手を責めずに許してあげてほしいと熱心に訴えたことが人々の評判になったそうです。私は今でも、「クリスチャンにはりっぱな人がいるものだ」と父が言うのを何度か聞いたことがあります。私は、自分が知らない信仰の先輩が、私の父に信仰の種まきをしてくださったことを感謝しています。
一方、私の母は熊本県八代市の日奈久という温泉町に生まれ育ちました。私は、大正生まれの母が小さな教会の日曜学校に通った経験があると知ったとき、とても驚きました。母は、そこでもらえる聖句入りの豆カードが楽しみだったそうです。私は、自分が一度も会ったことのない信仰の先人たちがしてくださったこのような種まきを心より感謝します。
私は、1971年から開拓伝道を開始し、1987年に教会を組織しました。以来、主イエスとその最初の教会、それを引き継いだ先人たちを模範として活動してきましたが、その多くが、「パンを水の上に投げる」かのようでした。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」
開拓期に、妻は私の母とある習い事をしていました。そして、お世話になっている先生に聖書をプレゼントする機会がありました。やがてその習い事をやめ、約50年の歳月が過ぎ、2021年に、この方が私たちの教会を訪れてくださいました。翌年に信仰を決心し、5月29日にバプテスマを受けました。その日は、この方の85歳の誕生日でした。私は、子どもの頃に日曜学校に通っていた母の肺がんが明らかになり、信仰をもってから天に召されたことを思い出し、福音の「種まき」への再献身を決意しました。