命を尽くして、生き極める
福音を伝えるために私が初めの一歩を踏み出すまで、30年の月日が用意されていたことを思う。鎌倉時代の武将・加賀美遠光を祖として生きつないできた武家の32代目として私は生を受けた。幼い私を薫育してくれた祖母が、事あるごとに言い聞かせてくれたことばがあった。それは代々受け継がれてきた家訓に記された、「命を尽くして、生き極めよ」だった。
そのことばを人生の至上命題として心に刻み付け、その道を見出したいとの決意を変節することなく持ち続け、できうる限りの多様な学びと職業経験を重ね、その職業特有のスキルを身に付け、少年、青年期を過ごした。しかし、それらの経験は断片的で、「命を尽くして、生き極める」という決意が生まれる道を見出せないまま、四半世紀が過ぎていった。
そこで、日本を出て、世界の中でその道を探し求めようとの思いに駆られ、1976年、青年海外協力隊に参加し、野菜栽培隊員としてエチオピアの地を踏んだ。しかし、着任間もなく社会主義軍事政権による粛清の現場を見せつけられ、やがて、エリトリア独立戦争、ソマリアとのオガデン戦争に伴う治安悪化のために撤退を余儀なくされた。
しかし、わずか数か月の滞在期間の中で強く心が揺り動かされることがあった。それは、治安悪化が進み、独裁政権下でプロテスタント教会への迫害が加速する中、深夜ひそかに各所に集まり、聖書を読み、祈り続ける若い信仰者たちの集いに招かれたことだった。そこで、危険な状況の中にありながら激しく燃え立つ信仰者たちのLIFE FORCE(命の力)を目の当たりにした。2年後、語学研修のためにケニアに滞在した。そこでも旱魃、飢饉の中を生き抜く遊牧の信仰者たち、貧しさがべったり張り付き、希望が見出せないようなスラムの厳しい環境と苦闘する信仰者たち、やはり彼らのLIFE FORCEに圧倒された。アフリカの信仰者たちとの出会い、彼らの内にたぎるLIFE FORCE。その秘密を知りたいという思いで、帰国後教会へ通い始めた。
在京ケニア大使館に通訳、翻訳係として勤務する傍ら、教会の働きに参加し、1年が経った頃、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(マルコ8:35、新共同訳)とのことばに心を刺された。それまでの何ともおぼつかない自分の人生の歩みを思い巡らした。そして、追い求めてきた「命を尽くして、生き極める」という道が、実は、キリストのために生きる生き様であることを指し示していることに目が開かれた。
かつて、武士が主君のために命を賭して生きた道は、真の主であるキリストのために命を尽くし、生き極めることで初めて成就される道だと悟らされた。それはまさに、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛すること、そして、その主への愛の発露として隣人を愛するという戒めによって言い表されている道だとの確信が与えられた。そして30歳で、「わたしに従ってきなさい」との招きに応えて、主キリストに人生を委ねる決意をし、福音を伝える者としての初めの一歩を踏み出した。