クリスチャンになって本当に良かった

桂三段落語家

私は落語家になって20年、クリスチャンになって10年が経ちました。私は「クリスチャンになって良かった」とつくづく感じます。以前、私の大切な方に「三段は、クリスチャンになって、人気者になったわけでもなく、お金持ちになったわけでもなく、何か良いことはあったのか?」と質問されたことがあります。私もクリスチャンになる前は、クリスチャンの方に対して同じような疑問をもっていました。  私がクリスチャンになって良かったのは「心が平安である」ということです。本当に困った時、自分の力ではどうしようもない時、私に必要なのはお金や人気ではなく「心の平安」です。それを与えてくれるのが「神様」なのです。クリスチャンになる前は、落語会の出番前に何としてでも緊張を和らげたいと思い、手の平に「人」と書いて飲み込んでいました。まったく効果はありませんでした。理屈っぽい私は、そもそも暗示などは信じていなかったのです。
また、心の中で「一生懸命、稽古してきたから大丈夫だ!」と鼓舞したりもしました。しかし、あまり効果はありません。いくら稽古しても、本番と稽古は違います。ライブにしかない楽しさもありますが、怖さもあります。怖さが勝ると緊張してしまいます。クリスチャンになった現在は、出番前にお祈りをします。「神様、一緒にいてください。」これはとても効果があります。心が平安になり落ち着きます。「神様が一緒にいてくれるなら、何が起きても大丈夫!」と信じているからです。「神様が一緒にいる」ということは妄信ではなく、自分自身の体験からわかります。
私は、いろいろな方の証しを聞くのが大好きで、聞くたびに「神様はすばらしい!」と感動します。時々、とても印象に残る証しに出会うことがあります。そのような証しは、クリスチャンの方にも、クリスチャンではない方にも聞いてほしくなります。そう思って創り始めたのが「証し落語」です。私が創作している福音落語の中で、最も多いパターンです。落語は会話調でストーリーを進めていくので、登場人物が動き出し、証しに臨場感が加わります。聞いた方の心に残るものになれば良いなと思っています。ただ、落語なので証しの内容をそのままというわけにはいきません。演出が入り、ストーリーがまったく違うものになることもあります。しかし、証しの芯の部分は落語の中に大切に入れています。
私は、クリスチャンになってから幸せを感じることが多くなりました。福音落語という賜物を神様に与えていただいたことや、夫婦で福音落語の活動を通して伝道できることも大きな喜びです。もちろん不安や困難もあります。経済的なこと、健康のこと、人間関係のこと、他にもたくさんあります。これは、クリスチャンであろうと、クリスチャンでなかろうと同じです。しかし、一つだけ大きな違いがあります。それは、クリスチャンである私は「心が平安」だということです。なぜなら、神様がいつも一緒にいてくれるからです。私の励まされるみことばです。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ 41:10)