弱々しい一歩でも

 吉澤恵一郎日本伝道福音教団 新潟聖書教会 牧師

新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックという未曽有の災禍は、まだ記憶に新しいと思います。その中で経験した「福音を伝える私の一歩」をお伝えしたいと思います。
2020年3月、新型コロナウイルスの影響下にあった英国・ロンドンはロックダウンを実施しました。それはロンドン日本語教会(ロンドンJCF)が無牧となったのとほぼ同時期のことです。多くの教会がオンライン礼拝で対応しましたが、ロックダウン下で牧師不在の教会は活動停止を余儀なくされました。そんな中で、私は協力牧師として、日本からロンドンの教会を援助することとなりました。
パソコン操作は不得手な私ですが、コロナ禍において、ウェブ会議用のアプリが普及したこともあり、日本から牧会する可能性を考えました。最低限度のことならできるかもしれないという程度の思いです。ただ、このまま何もせずに時間が解決することを待っていては、教会が命を失ってしまうのではないかという危機感がありました。
日本とロンドンの時差は9時間です。日本の夜8時がロンドンの朝11時という関係が、オンライン礼拝を可能にしました。ロンドンの方々は教会活動の再開を喜ぶとともに、テクノロジーがもたらした新しい海外宣教の形とオンライン礼拝を歓迎しました。
けれども、私の本心は、消極的かつ懐疑的でした。教会2000年の歴史の中で守られてきた会堂での礼拝と、パソコンやスマホの画面で行われるオンライン礼拝を、同じ礼拝と考えることには抵抗がありました。特殊事情における緊急避難的な措置と考えることで自分を納得させながらのスタートでした。
しかし、コロナの影響はとどまるところを知らず、長期化の一途をたどり、オンライン礼拝は数年間に延長され、今も続けられています。私にとって思いがけない出来事は、オンライン礼拝をきっかけに救われる人が起こされたということです。
救われた方は、クリスチャンと結婚したばかりという男性でした。妻が教会に行くなら喜んで送迎はするが、自分が教会に入ることは絶対にないと思っていたのだが、部屋のパソコンでの礼拝なら出てみようと思った、とのことです。
やがて、帰国され、日本の教会に通うようになり、洗礼を受けたという報告を聞いたときは本当に感激しました。
私はオンライン礼拝が優れていて宣教の重要なツールだと声高に叫ぶつもりはありません。奥様の祈りや、帰国後、出席された教会の関わりが大きかったと思います。しかし、大切なことは、みことばの種が蒔かれていたということです。みことばの種が蒔かれなければ、何も起こりません。
あらためて教えられたことは、みことばを伝えることが福音を伝える第一歩であるということです。私は、オンライン礼拝に懐疑的でした。準備や知識も乏しく、宣教のみわざが表されることなど期待もしていませんでした。そのような私の姿勢は反省しなければなりません。懐疑的で、消極的で、不信仰な者であっても神様は、福音を伝える一歩を踏み出させてくださるのです。弱々しい一歩であっても、みことばの種が蒔かれるなら、神様がみわざを表してくださるのです。