二つの「救出」を祈って

私は27歳の時にキリスト教出版社のいのちのことば社に入社しました。雑誌や書籍編集の仕事に勤しみ、職場結婚し、やがて息子が与えられました。
50代に入った頃、78歳を迎える今日に至るまで自分のライフワークとなった「拉致問題」に出合いました。1997年、北朝鮮による横田めぐみさん拉致が明るみになり、実名を公表して救出活動を始めた横田早紀江さんを訪ね、当時「聖書を読む会」を行っていた斉藤眞紀子さん(現在「横田早紀江さんを囲む祈り会」代表)のお宅に伺いました。目的は取材依頼でした。
話を聞くうち横田さんを取り巻く状況がだんだん分かってきました。愛娘の突然の失踪によって悲しみのどん底に突き落とされた両親が、ようやく20年後に知ったのは、北朝鮮の工作員によって連れ去られたものだったという驚き。これからどうしたらよいのか。集まった人たちはそのことを真剣に話し合っている様子でした。そして何度目かの訪問の際、定期的な祈祷会を開くため、いのちのことば社のチャペルを借りられないかとの相談を受けたのです。思いがけない申し出でしたが、こうして2000年春より当時新宿区信濃町にあったいのちのことば社で「横田早紀江さんを囲む祈り会」が始まったのです。それから、めぐみさん(拉致されたすべての人たちも)の救出を祈り続けて26年目を迎えました。
一方時期を同じくして、家庭内でも「救出」の祈りが始まっていました。幼い時は教会が大好きだった息子が、徐々に教会や親を遠ざけるようになり、中学2年生になった頃から不登校になりました。私は足元をすくわれたように動揺し、慌てふためきました。原因を探り、わが子の心を取り戻そうと、良かれと思ってさまざまな方法を試みましたが、すべて裏目に出て、ますます彼は離れていきました。「よくある思春期の反抗だよ」と慰めてくれる人もいましたが、事態は深刻になるばかりでした。引きこもり、家出、学校中退、音信不通……。とうとう20年近い月日が流れました。いったい何が、あれほど愛した私たちの子どもを奪っていったのだろうか。
この間、「めぐみさんの(祖国と家族のもとへの)救出」と「わが子の(キリストと私たちのもとへの)救出」は私にとって相通じる同じ重さを持った祈りとなっていました。空しい苦悩が続きました。しかし、人生の後半に与えられた試練は、かけがえのない祈りの訓練の時でもありました。
息子は30歳になったある日、電話をよこし、身一つで家に帰ってきました。翌年のクリスマスの夜、初めて祈りに導かれてキリストを受け入れた後、私たちに手をついて詫びました。私たちも至らぬ親だったことを詫びました。その後、息子は献身の召しを受けて神学校に学び、昨年から教会の伝道師として仕えています。彼は、「聖霊が働いてくれた」と語っています。確かに主のあわれみにより、聖霊が彼に働いて救われたと信じるものです。
「めぐみさんの救出」も必ず成ると信じています。「神様にはご計画があり、神様の時を待つ」という思いが、共に祈る者たちに与えられています。主権は神にあり、神は愛のお方です。積まれた祈りに応えてくださる方です。「主は生きておられる。主の御名を称えます」と喜ぶ日がくることを願ってやみません。