誌上ミニ講座「地域の高齢者と共に生きる」 第6回  専門的ケアとの連携と人材

井上貴詞
東京基督教大学助教

「地域の高齢者と共に生きる」

これまで、専門的な福祉事業に直接関わっていなくても、クリスチャンや教会が身近にできる地域の高齢者や家族への配慮、実践のポイントをご紹介してきました。それでは、より専門的なケアが必要な高齢者に対して、クリスチャンや教会はどんな役割を果たすことができるでしょうか。最近では、教会と密接な関わりを持つ福祉事業者や、教会自らが何らかのかたちでケアサービスに取り組む実践や模索も散見されます。そこで今回は、こうした専門的ケアとの関わりや実践の展望に心を留めてみたいと思います。

地域の福祉施設とのパートナーシップ

二〇〇〇年にスタートした介護保険制度は、戦後半世紀以上にわたって行政や社会福祉法人に限られていたケアサービスを、多様な実施主体が担うことができるように道を開いたことが大きな特徴です。営利企業、NPO、生協や農協などの様々な法人格が次々と福祉に参入し、地域に密着した小規模の福祉施設が数多く誕生しています。
地域にそうした福祉施設があれば、個人や教会の小グループで訪問して交流したり、介護ボランティアをしてみることをお勧めします。悲喜こもごもの高齢者の人生模様から多くを学ばされ、施設からはケアのヒントやスキルを学ぶことができます。まさに「老人ホームは人間学校」と言えます。
職業として従事する方は貴重です。かなり以前のことですが、キリスト教老人ホームで働いて信仰をもった女性が、受洗した教会の牧師に「日曜日に仕事が入る職場はよろしくない」と叱責を受け、その教会から離れてしまうという残念なことがありました。福祉の働きに使命をもって従事しようとするクリスチャンに対して、教会は、地域の宣教現場に派遣しているというくらいの意識でぜひ祈って励ましていただきたいと思います。そうすれば、その方は教会にとって欠かせない宝となります。クリスチャン職員の激減により、スピリット消失の危機にあるキリスト教福祉施設も祈って支えたいものです。

小さな共同体における福祉

主イエスは、人格的な交わりが保てる小規模の共同体で弟子たちと寝食を共にし、福音を宣べ伝え、教え、いやすわざを行いました。そのような人格的な関係の中でこそ、人はいやされ、福音は全人的に体現されていきます。
筆者の所属教会では、二〇〇三年から介護保険指定事業「喜楽希楽サービス」を開始しました。宗教法人格で運営している理由は、ボランティアのケアでは限界を感じたことと教会の特性を活かした働きにチャレンジしたかったからです。また、教会が地域社会のニーズに応えることも宣教のひとつと捉える教会の理念の具現化でもあります。現在は、デイサービスに一日平均十二人の方が集い、毎日六、七件の居宅へヘルパーを派遣し、介護タクシーや居宅介護支援(ケアマネジャーによる相談とケアプラン作成支援)も行い、多くの人に喜ばれています。職員は全員、高齢者に仕えることに喜びと誇りをもつクリスチャンです。

取り組みは多様、鍵は人材

キリストへの信仰と愛をもって取り組む福祉の働きが全国に広がっています。社会福祉法人、企業、NPO、教会とそれぞれのスタイルによる一長一短はありますが、どのスタイルで取り組むかよりも重要なのは働き人です。信仰の有無だけで働き人を評価するような短絡的なことは避けるべきです。有能で配慮に満ちた多くのノンクリスチャンがキリスト教福祉の現場を支えているということを、実に謙虚に受け止めなければなりません。しかし、霊的側面も含めた全人的ケアのできるキリスト教福祉というのであれば、リーダーシップを発揮できる有能なクリスチャンスタッフが現場に絶対必要です。教会が地域の高齢者と共に生きようとするためには、教会に福祉の専門家が存在することも重要です。今後、大きな教会であれば、音楽主事や青年主事に加え、福祉主事も必要になることでしょう。
筆者の奉職する大学は、聖書と介護福祉を専門的に学べる日本で唯一の神学大学です。高齢者ケアだけでなく、キリスト教世界観に立った障がい者福祉や精神保健、ソーシャルワークも学べ、国家資格も得ることができます。福音派におけるキリスト教福祉の働きは、現在大きな世代交代期を迎えています。キリストに献身して福祉の働きを志す方が多くおこされ、地域で弱さを抱える方と共に生きるクリスチャンケアワーカーが多く輩出されることを願って止みません。

「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」
(レビ記19章32節)