爆心地より北東500mに位置し、当時は東洋一の規模を誇った浦上天主堂。しかし原爆によりほとんどが倒壊または消失した。16世紀後半よりキリシタン布教の地として栄えた浦上地区。1587年のキリシタン禁令により長年の迫害と苦難に耐え、1873年の禁制が解かれた後、約31年間かけてついに1925年完成した。しかし長崎市民の象徴でもある浦上天主堂は一発の原爆で倒壊。そんな悲劇の歴史から、長崎市政100周年を記念して未来永続の平和を願い、ついに「長崎市民平和憲章」が制定され、今も世界へ発信し続けている。

側壁の一部だけ残った浦上天主堂
