ティンデル聖書注解 >人物伝
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創立55年記念出版
ティンデル聖書注解シリーズ 全48巻 翻訳監修者
遠藤嘉信・富井悠夫
鞭木由行・山口 昇
新改訳聖書第三版対応
各A5判 2段縦組 上製
人物伝
マメマメ人物伝 ウィリアム・ティンデル
ティンデル聖書注解シリーズの名前の由来であるウィリアム・ティンデルとはいかなる人物だったのか……少しだけご紹介します。
ウィリアム・ティンデル ウィリアム・ティンデル(1491頃−1536)
 聖書がラテン語で書かれ、聖職者に占有されていた十五世紀末、ウィリアム・ティンデルは英国・グロスターシャーに生まれた。オックスフォード大学卒業後、ケンブリッジで神学を学んだ。

 教皇インノケンティウス八世(1484-92)には七人の私生児がおり、次の教皇アレクサンデル六世(1492-1503)は、未婚のスペイン女性と同棲しているというありさま。その生活と、市民に教えていることのあまりの違いに、ティンデルは嘆いていた。

 一五二一年、故郷にもどり、ジョン・ウォールシュ卿家の家庭教師になり、またその教区の司祭として働いたティンデルは、聖職者の無知を知り、ある聖職者に次のように断言したという。「もし、神が生きながらえさせてくれるなら、私は何年もしないうちに、鋤で耕している少年を、あなたが知る以上に聖書を知るようにしてみせよう」。これが彼のライフワークとなった。

 その後、二年間をかけて一四五四年に発見されたギリシャ語の聖書を手に入れると、印刷技術の発達したロンドンへとび、翻訳に取りかかった。だが、教会指導者の怒りを買い、ロンドン滞在が危険になったため、ドイツ・ケルンで翻訳作業をすすめた。

 一五二六年、ケルンで最初の印刷が行われた。印刷、製本された新約聖書は、商船や樽の中に隠されイギリスに密輸された。身の危険を感じたティンデルは、オランダ・アントワープに移り住み、一五三四、一五三五と改訂を続け、各国へ輸出し続けた。だが、ほとんどが没収され、焼かれてしまったため、現在では完全なものが二つしか残されていない。

 一五三五年、友人の裏切りによって、ティンデルは捕らえられ、ブリュッセル近郊のヴィリヴォード城に投獄された。投獄は十八か月間にもわたり、教会当局は、彼が信じてきたこと、また、キリストのみが救いをもたらすという教えは誤りであったと証言させようとした。

 しかし、ティンデルはそれらを否定しなかった。神を侮辱するよりも天国で主に出会う方がいいと、絞首刑後、火あぶりとなった。

 「神よ、イギリス王の目を開いてください」という最後の言葉を残した二年後、ティンデルが訳した聖書は、イギリスで出版が許可された。それは今日、欽定訳聖書で読むことができる。
ロンドンのエンバンクメント・ガーデンズに立つウィリアム・ティンデル像


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