あなたの祈りは応えられますか
キリスト伝道隊 平塚福音キリスト教会 牧師
岩井 清
「祈りは応えられますか」と聞かれたら、ほとんどのクリスチャンは、「はい。応えられます」と躊躇なく模範回答を出すことでしょう。
では、「あなたの祈りは応えられますか」と聞かれたらどうでしょうか。ちょっと答えにつまるかもしれませんね。「わたしは、みこころにかなう祈りをしているだろうか。熱心に祈っているだろうか。わたしのうちに、罪や不義があって、祈りが聞かれるのを妨げていはしないだろうか。確信をもって祈っているだろうか」など、さまざまな思いが自分の中を駆けめぐるからだと思います。
でも、これらの反省は有益だと思います。生ける神のみ前に、主イエス・キリストの御名にひたすらより頼みつつ、へりくだって御霊による祈りをおささげする助けとなるからです。
さて、あなたの祈りにしてもわたしの祈りにしても、その応えには三種類あると言われます。第一は、神が「よし」とおっしゃって、わたしたちが思っているとおりに、いやそれ以上に応えられる場合です。
第二は、主が「いやちがう、こちらだよ」と言われて、わたしたちが願っていたのとは別の道を示してくださる場合です。
第三は、「もう少し待ってみなさい」と、わたしたちが想像していた時より、ずっとおそくなって、はじめてその祈りの成就を見せてくださる場合です。
ヤベツの祈りはこの第一のケースに当たると思いますが、今このひとつひとつについて聖書の実例と信仰生活で経験した実例とを上げて、もう少しくわしく見ていきたいと思います。
一 神が「よし」と言って下さる応え
バビロン捕囚からの帰還は主として三つのグループに分かれて行なわれましたが、その第二グループのリーダーはエズラでした。彼は子供も含めて千七百人ほどの一行を率い、しかも百億にも達すると思われる金、銀、青銅などの宝物を携えて、四ヵ月にもおよぶ徒歩の旅に出発しようとしていました。盗賊のひそむ荒野を越えていかなければなりません。だれが見ても、彼らを守る騎兵部隊が必要でした。
ところが、エズラはいつもペルシャの王に生けるまことの神、祈りに応えたもう恵みの神、全能の神について証ししていたので、その部隊と騎兵たちの保護を王に願うことを恥じたのです。彼は王に願う代わりに、一行とともにアハワ川のほとりで断食し、一心に主ご自身に求めました。「すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった」とエズラは証ししています(エズラ8・23)。
ロシアからピアニストを迎え、演奏会を計画したある姉妹は、許可証を現地に送ったのですが、途中で紛失したらしく、日本へのビザが降りないというピンチに直面しました。すでに前売券も販売されています。
わたしたちの切なる祈りに主は応えてくださり、奇跡的な方法でビザが与えられ、喜んで御名を崇めた経験を忘れることができません。
二 神が「いやちがう」と言われる応え
これについての有名な実例は使徒パウロの祈りに見られます。彼には自分の肉体にひとつの「とげ」が与えられており、それに悩まされていたようです。彼はこれが取り去られるようにと三度も祈ったとのことです(2コリント12・8)。ところが神の応えは、そのとげがそのまま残ることでした。それによって彼が、いつも謙遜に主により頼み、主の栄光のために用いられるためでした。
多くのガン患者が、聖徒たちの祈りに応えられて癒されましたが、ある信仰深い姉妹はそのまま天に召されていきました。そこにどのような主のみ旨があったのかわたしには分かりませんが、これが主のお応えだったのです。
三 神が「待て」とおっしゃる応え
預言者ハバククは、神の民イスラエルを懲らしめる器として、イスラエルよりずっと邪悪なバビロンが用いられると聞いて驚き、神に抗議の声を上げました。それに対し主は、「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」と、バビロンにも神の御手がおよぶことを約束してくださいました(ハバクク2・3)。彼が祈りをささげてから、実に六、七十年もたってから、この祈りは聞かれたのです。
最近わたしたちの教会でふたりの男性が病床洗礼を受けました。どちらのケースもご夫人が四十年にもわたってご主人のためにその救いを祈りつづけ、待ち望み続けてこられたのです。それだけに喜びもひとしおでした。臨終が近いということで受洗に踏み切ったのですが、なんとふたりとも、その後お元気になり、二重三重の喜びでした。
このようにわたしたちの祈りは必ず応えられるのですが、その応えられ方にはいくつかの違いがあるのです。ただわたしたちには、耳があっても聞こえないような偶像ではなく、耳を植えてくださった生ける神が天の御父として与えられているのです。これ以上の特権がほかにあるでしょうか。いよいよ祈りに励みたいと願う者です。
「祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。」(詩篇65・2)
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