現況で満足しない「ヤベツの祈り」
保守バプテスト同盟 福島第1バプテスト教会 牧師 佐藤 彰
「人はパンだけで生きるのではない」(マタイ4・4)「心の貧しい者は幸いです」(同5・3)にあるように、人間は現況に満足しない存在として造られました。犬猫は身が安全で食物があればそれ以上望みませんが、人間だけは、家があり、何不足ない生活をしているように見えても、心の中に空虚さを感じるように造られているようなのです。
第1歴代誌4・9―10節に突如として登場するヤベツの記録はここにしかありません。けれどもユダ氏族の系図の中に唐突に姿を現わす彼の人生の記録は、いわゆる普通の人間の生涯の中に生まれるべくして生まれる「人生の祈り」とも言うべきものとそのバックグラウンドにある土壌、そしてそんな人の1生に神がどう関わられるのかということが端的に物語られていると思います。
祈りが生まれる背景
「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた」(9節)。わたしたちの中にも母の特別な寵愛を受けて幼少期を過ごした人もいるでしょう。ヤベツの場合、その現れは、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」でした(9節)。「ヤベツ」その名前の意味は「悲しみ」「痛み」です。名は体を表すと言われますが、ここにヤベツ自らが選択してセッティングしたわけではない人生の背景があります。
近年よく、幼少期の父子関係や、複雑な生い立ちが今日の自分にどう影響を与えたかが論じられます。もちろんそれらは、いまだ尾をひく深刻な心的ストレスに違いありません。けれども複雑な家庭環境や時代背景等々の特殊な事情により、何らかの傷や屈折を心に受けていない人、完璧な父の理想像や、安定し続ける家庭環境を求めることには無理があります。逆に多くのマイナスの要因に囲まれたところから出発するのが人生の現実のように思えるのです。
だからしょうがないとは言いません。聖書はヤベツが母の悲しみが幼少の頃から重く自分の人生にのしかかってくるスタートを切ったとしても、だから母のせいだとか、自分は不幸のまま終わるのだと結論しませんでした。彼は良くも悪くもそこを人生のスタートラインとして、「イスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように』」(10節)との祈りへと進んだのです。
人生のそこここに横たわる様々な不条理と思えることや、理解不能に見える事柄こそが実はわたしたちの魂がその壁の前で止まらず、そこから天に向かうために神が備えられた発露とも言えるのです。「人生は無情ゆえに神はない」ではなく、地上で納得できないあまりに多くの事柄に囲まれている人生だからこそ人は天に向かうのです。そう言えばハンナもペニンナの家庭内いじめがあまりにひどく耐えられなくて天に向かいました(1サムエル1章)。ヤコブも双子の兄エサウの憎しみ未ださめやらず、恐怖に駆られて御使いと格闘したのではなかったでしょうか。それこそが真のイスラエル、神の民の姿と言えましょう(創世記32章)。
現況で決して満足せず、母の悲しみを背中にズッシリと負ったような人生の出発点をバネにして、ヤベツはそこからの解放をストレートに大胆に神に祈り求めました。たとえ災いから始まったとしても、これからは大いなる神の祝福を求め、様々な苦しみからの真の解放と具体的な地境の拡大を求めたのです。そして神もまた「彼の願ったことをかなえられた」(10節)のでした。
まわりくどく考えず、祈りは単純ストレートでいい。そして神もまたわたしたちの祈りにストレートに応えて下さるお方なのです。
イスラエルに長年住んでおられるある方が、日本人は聖書の世界をあまりに難しくわざわざひねって解釈し過ぎる、と話しておられました。イエス様も「求めなさい。そうすれば与えられます」の教えに続いて、子どもが単純に卵や魚を求めるたとえを祈りのすすめとして語られました(ルカ11・9―10)。
神様はわたしたちのそこからの1歩を求めておられます。
現代社会も
今アメリカで『ヤベツの祈り』がベストセラーになる背景には、1つには複雑で重苦しい現代人の人生の現実があると思います。幼児虐待や誘拐、離婚や不和が横行し、その中でもまれ傷つきもがいている人生が、その場所から神に向かってうめいているように思われるのです。
しかし、だからといって単純に誰のせい、何の出来事のせいにして終わるのでなく、ストレートに、そこから祈りをささげていいのだ。神に向かって祈るのだ。だからこそ信仰なのだとの現代のアメリカの人々が神に回帰する心の道筋が見えるようです。
信仰を持って間もないある方は、「家庭でテレビが故障して、すぐ家族の前で祈ってみたらきかれて直りました」と純粋に喜んでおられました。またある御婦人は日曜日の朝、教会の台所で「これからお湯を沸かして奉仕しますからお守り下さい」と単純な祈りをささげておられます。
それでいい。信仰は単純ストレートでいい。わたしたちも、息が詰まりそうになる複雑で重苦しい現代社会の中にあって大胆かつストレートに、「神よ、わたしはこの現況のままでは満足できません。どうぞわたしの魂の祈りをお聞きください」と祈り叫びながら歩む者でありたいのです。
|