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■ |
ゼッフィレッリ監督は語る |
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キリスト教の信者たちは、イエス・キリストを、聖なるもの、神として、受け入れることには、いまだかつて問題をさしはさんだことはない。しかし、彼が神であると同時に、人間でもあるということについては、常に問題を感じている。私は、多すぎるほどのお伽話的な解釈や、教会用映画などによって、すっかり砂ぼこりにまみれてしまったキリストという人物像から、その塵を払い落としたいと思ったのだ。私自身は、キリスト教信者なのだから、こういう言葉は矛盾とみえるかもしれない。しかし、現代のように腐敗に満ちた世の中において、キリスト教の信者であるということは、非常に困難なことなのだ。だからこそ、イエスには、さらに徹底した人間性が必要なのである。
私の描くイエスは、三つの次元を持つ。彼は、まず、あなたが親しい絆をもちたいと思うような友人である。次に、彼は、すばらしい奇跡的な能力の持ち主。そして、第三に、彼は神である。この第三の次元は謎を残すことになる。 とにかく私は、できるかぎり、「福音書」に忠実に、イメージを築いていこうと考えた。なぜなら、「福音書」に従っている限り、決してまちがいは犯さないだろうし、何よりも「福音書」は、この世で今まで書かれた最もすぐれたドラマであり、推理小説なのである。その中から、私は、神でありながら、人間としての苦しみ、怒り、悲しみをも生きた、イエス・キリストという、グローバルな像を引き出そうとしたのである。 |
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―「ナザレのイエス」1980年公開当時のパンフレットより |
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