クリ女子の婚カツ事情?! ②

の続き。

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(教会で婚活イベントとかすればいいのに。需要あると思う)

そうなると、男女とも年頃になると好きになった相手がノンクリスチャンであるならば伝道をし、教会に連れてくるしかない。だが、そこにクリ女子最大のハードルがあるのである。

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(長らく「恋愛するな」と言われるのに、適齢期になるといきなり「相手はいるのか?」と聞かれだす矛盾)

そもそも日本における結婚は、女性が相手の家に嫁ぐかたちである。であるので、クリスチャン男子、ノンクリスチャン女子の場合、

「相手の家に嫁ぐのだから、ある程度はあちらの意見に従うのはしょうがない。」

というスタンスで両家結婚についての話を進めることができる。

だがしかし、クリスチャン女子、ノンクリスチャン男子の場合はそうは行かない。その立場が逆になるのだ。

「こちらの家にくるのだから、こちらのしきたりもある程度は尊重してほしい。」

信仰を捨てろとまではいかなくても、その結婚によって信仰の闘いが増えることは必死である。相手がすぐにクリスチャンになってくれれば良いが、女性から男性に伝道するのは、やはり特別な難しさがある。

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(「娘さんをください!」の図。日本ならではの儀式?)

私個人の話をしたい。

「結婚相手のために祈りましょう」と教会で教えられたのは、確か中学2年生の夏キャンプのときだったと思う。

スモールグループに分かれて同学年の女子たちが集められた。当時、キャンプの夜になるとみんなで色恋の話に花を咲かせたものである。(誰と誰が結婚すると思う?が鉄板ネタだった)

学びの場では30代半ばの女性スタッフが結婚のためにどのように備え、祈っていけばよいかを教えてくれた。話の内容はほぼ忘れてしまったが、この言葉だけはよく覚えている。

「結婚相手は神様に具体的に祈ったほうがいい。どのような人がいいのか細かくお願いすること。私は祈っていた条件のすべてをクリアしたパートナーが与えられた。

今はもっと欲張って祈っておけば良かったと少し後悔してるよ。(笑)だまされたと思ってそうしてみてね」

なんと! 具体的に欲張って祈ってもいいのか。

そして、続けてこのように語られたのがとても印象に残っている。

「その人のために、“自分自身を取っておくこと”

これが何よりも大切。神様が伴侶を与えてくださるのを待てば、理想の相手は必ず現れるから」

いま思い返せばところどころに異論はあるが、私の恋愛観はこの言葉に強く影響されたのは間違いない。

「将来の伴侶のために自分自身を取っておくこと」。これはクリスチャンならではの恋愛観かもしれないが、この言葉をまるっとそのまま素直に受け入れることができて本当に良かったと神さまに感謝している。

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(そのときに祈った相手の理想像は、勉強が出来て頭が良くて、仕事ができて〔アニメ・マンガの仕事をしていてほしい←〕、日本の未来のために大いなるビジョンを持っている人、だった。)

クリスチャンを破滅させるには異性をあてがえばいい、と誰かが言ったとか言わなかったとか。

「相手を好きになる気持ち」そのものは神さまから与えられた大切な感情であるが、問題は見えない神さまよりも、目に見えて触れることのできる異性のほうをいつの間にか優先してしまうことなのだ。

そして多くの場合、その感情を一人でコントロールすることは不可能である。

恋愛は人を豊かにするが、クリ女子を大きく傷つけ、損なってしまう恐れも潜んでいる。だからこそ、教会で恋愛についてオープンに語り合い、祈りに覚えてもらう必要があると私は思う。

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