あたたかい生命と温かいいのち 第七回 真剣に生きているのか

福井 生
1966年滋賀県にある知能に重い障がいを持つ人たちの家「止揚学園」に生まれる。生まれたときから知能に重い障がいを持つ子どもたちとともに育つ。同志社大学神学部卒業後、出版社に勤務。しかし、子どものころから一緒だった仲間たちがいつも頭から離れず、1992年に止揚学園に職員として戻ってくる。2015年より園長となる。

止揚学園の知能に重い障がいをもつ仲間の孝雄さんは、会話を交わすことが難しいです。いつもニコニコしていておとなしいのですが、ときどき思い出したかのように、簡単な言葉を大きな声で発します。そのタイミングは絶妙なのですが、その場の雰囲気に見合うものでないため、初めての人は、呆気にとられてしまいます。それでも孝雄さんのことを知っている私たちは、おかしさが込み上げてくるのです。
以前、止揚学園で大きな行事があり、来賓の方のご挨拶がありました。マイクを前に話しだそうとされたそのとき、絶妙のタイミングで、孝雄さんが「おわり」と言い放ったのです。孝雄さんのことを知っている私たちにとってはいつものことなのですが、初めての方にしたら出鼻をくじかれ、ショックなことかもしれません。
「孝雄さんは何も悪気がないのです。ただ、孝雄さんの話せる言葉はあまり多くなくて、その中の一つが『おわり』なのです。今の『おわり』は『まってました』という、ご挨拶をされる方への励ましの言葉と私たちは捉えているのです。だからどうかお気を悪くされないでください。」
こう説明すると、「分かっていますよ」と、快くご挨拶を始めてくださいました。

夏になると、止揚学園ではたくさんの行事が目白押しです。ホタルを見に行くこと、七夕、プール開き、キャンプ等、打ち合わせのための職員会にも熱が入ります。集中しすぎ、休もうとしたとき、
「真剣に生きているのか。」
孝雄さんの声が聞こえてきたのです。このタイムリーな発言に、休むことなどとんでもないと、再び背筋をぴんと伸ばし、職員会を続けることになりました。
穏やかで優しい孝雄さんの表情と、厳格なその言葉はミスマッチです。そのことに気づけば、またおかしくなり、職員会が明るい雰囲気に包まれるのです。孝雄さんがその言葉をどこで覚えたのか分かりません。昔はよく会話に出てきたのでしょうか。年配の職員の村松さんに尋ねてみると、「そうですね。当時はそんなことをよく言っていたのでしょうか」と懐かしそうに言いました。
止揚学園は設立されて五十五年が経ちました。村松さんは四十五年在職しています。村松さんが職員になった年にはもう孝雄さんは止揚学園で生活していました。既成の価値観にあらがおうとした、当時の時代的な気運を二人はともに経験してきたのです。私が子ども時代の目に映った止揚学園の人々から想像して、「本当に自分たちは知能に重い障がいをもつ仲間たちとともに生きているのか」ということを問うたのがこの言葉だったと思います。最近、しんどさが伴うこんな言葉を人々は口にしなくなりました。
「無理をせず、自分のできる範囲でいいから。」
今の日本の社会は、どちらかというとこっちの言葉の方をよく聞き、話します。心が疲れたときに安らぎを与えてくれる大切な言葉です。しかし、それとは別に違ったものを感じる場合があります。他人に対する無関心さという現代的気運といえばいいのでしょうか。この言葉を字義的に受け止め、自分のしんどさを放棄したとき、希望は失われるのです。
だからこそ社会の中で弱い立場に立たされている人たちとともに歩もうとする姿勢だけは諦めない、ともに前進していこうと一歩を踏み出すことに勇気が必要な場面において、安らぎを与えてくれる言葉であってほしいのです。
止揚学園の仲間たちとともに歩む私たちにとってのしんどさとは(しんどさという言葉が適切でないとしたら、重荷といえばよいでしょうか)社会の中で弱い立場に立たざるをえない人たちを生み出しているのは、ほかならぬ私たちだということです。

この重荷と真剣に向き合わない時代は本当に恐ろしい時代です。去年「重度障がい者は生きている意味がない」と尊い生命が奪われる悲しい事件がありました。果たして私たちはそんな時代の到来を「無理をせず、自分のできる範囲でいいから」と、自らの責任と真剣に向き合わずして回避することができるのでしょうか。
しんどいことの中にこそ真実があるのです。
自らの責任と向き合うことは、無力なる自らに気づかされることです。そんなときにこそイエス様のみことばが明るい光となって見えてくるのです。そんなときにこそイエス様のみことばを私たちは生きることができるのです。
孝雄さんの叫びは空虚に宙を舞っているのではありません。その叫びは私たちをイエス様のみことばのほうへと向かわせてくれる祈りなのです。