書評Books 私たちが生きる喜びを分かち合うために

日本メノナイト帯広キリスト教会 牧師 伽賀 由

『ねえちゃん、大事にしいや。 ―生きる喜びを分かち合うために』
入佐明美 著
B6判 1,000円+税
いのちのことば社

この本は、著者・入佐明美さんが一九八〇年から釜ヶ崎で三十六年間、ソーシャルワーカーとして日雇い労働者一人一人に対応し関わってこられた経験や、その働きを通して感じたこと・考えたこと等、日ごろの講演をまとめたものです。筆者は入佐氏のことを、最初の著書『ねぇちゃん、ごくろうさん』が出版された三十年ほど前、初めて知りました。しかしそのときは、その働きがあまりにも衝撃的で、正直、最後まで読み終えることさえできませんでした。女性でありながら単独で、釜ヶ崎に入り、日雇い労働者に話しかけるなど、想像すらできなかったからです。それだけに、いつかお会いしたいと思っていました。
一昨年、筆者が社会的弱者の対応の中で、牧会者としての自分の度量に限界を感じ、何を、どう信じてよいのか、あるいは相手との対応をあきらめることも一つの選択肢だろうかと考えていたとき、入佐氏の講演を聴く機会が与えられました。小柄で、実に静かに淡々と、しかしとても温かい言葉で語られました。講演の終盤で、自己受容と自己容認の大切さを、労働者との対応の中で教えられたと話されたとき、私自身、その点において時間をかけ考え勉強してきたつもりでしたが、今、牧会者として再度、問い直されているのかもしれないと思いました。本の中で釜ヶ崎を、ご自身の学校だと言います。相手を助けよう・支えようとして、実は支えられているのは自分だと気づいたと語ります。自分を見つめ向き合う中で、「自分がきらいと思っても、自分から引っ越しはできません。この自分と一生涯、どんな時もつき合っていかなくてはなりません。」「生かされて生きる」喜びを感じ、「相手の存在がいとおしいと感じられ、自分の存在もいとおしもうと願う」、「存在そのものをいとおしんで生きることが大切」だと語ります。
本の副題として、表紙の隅に小さく「生きる喜びを分かち合うために」とあります。命の源である神が、究極の命を分かち合うために、この地上に来られ、十字架において究極の絶望を負ってくださったのは、私たちが生きる喜びを分かち合うためなのだと、あらためて思いました。