恵みの軌跡 最終回 大学の学長、学院長の経験

柏木 哲夫
一九六五年、大阪大学医学部卒業。ワシントン大学に留学し、アメリカ精神医学の研修を積む。一九七二年に帰国し、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。翌年日本で初めてのホスピスプログラムをスタート。一九九四年日米医学功労賞、一九九八年朝日社会福祉賞、二〇〇四年保健文化賞を受賞。日本メノナイト ブレザレン石橋キリスト教会会員。

名古屋の大学での働きに従事する決断はついたのですが、住まいをどうするかが大きな問題でした。ワンルームマンションを借り、週末は大阪の自宅に帰ることを考えました。しかし、当時同居していた九十歳の母のことが心配でした。相談すると、「息子の気配がほしい」と言いました。この「気配」という言葉が私の胸を打ちました。辞書を引いてみると、「いろいろの状況からどうもそれに違いないと察せられる様子」とあります(『新明解国語辞典』三省堂)。私は基本的に新幹線通勤を決断しました。名古屋には十二年いましたが、仕事で遅くなったり、朝早かったりしたときはホテルに泊まり、原則自宅から通いました。はじめ、遠いなあと思ったのですが、しばらくすると新幹線の五十分は私にとって貴重な時間になりました。講義や講演の準備、大学の将来構想、スケジュールの調整、読書、時にはうたた寝など、すべてこの時間にしました。
赴任後の一年間は、人間科学部の教授として学生の講義とゼミを担当しました。講義では、新しく「臨床ケア学」を開講しました。その中でケアの双方向性について、ホスピスでのケアを通して経験したことを学生に伝えました。ケアは、その提供者がケアを受ける人に一方的に提供するものではなく、提供者も、多くのことをケアを受ける人から教えられることを伝えました。ケアを通して、提供する人と、受ける人がお互いに成長することを強調しました。
ゼミでは、ホスピスでのケア、特にチームとしてのケアを具体的に提示し、皆で討論しました。ゼミ生の一人が看護師になることを決断し、現在もホスピスで働いています。
赴任して一年が経過し、二〇〇四年に選挙により、学長になりました。K学院は幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院からなり、児童、生徒、学生を合わせると約七千
六百名というかなり大きな組織です。学院全体の基本的な教育方針は「主を畏れることは知恵の初め」(新共同訳、箴言1・7)という聖書のみことばです。学長としての最初の仕事は、このスクールモットーをわかりやすく説明する文章を作ることでした。宗教主事やクリスチャンの教員の協力でできあがったのが次のようなものです。

スクールモットー
「K学院のスクールモットーは『主を畏れることは知恵のはじめ』(箴言一・七)である。この聖句のもとで、本学院は『キリスト教精神を基礎とする全人教育』を目指している。本学院の生徒、学生、教職員はこの聖句の意味を理解することが求められることは言うまでもない。
『主』という言葉は、存在の根源をいう意味の言葉から由来している神名で、すべてのものをあらしめる者、すべてのものの根源という意味であり、信じる、信じないにかかわらず、主が存在するというのがキリスト教の基盤である。『畏れる』というのは、『怖れる』ことではない。かしこみ畏れる畏敬のことである。真の『知恵』は神との正しい関係から始まり、そこに中心があるというのが聖書の教えである。教育の現場では多くの『この世の知恵』が伝授されるが、『主を畏れる』ことが『知恵のはじめ』であることを、教育を提供する者も、受ける者も、認識することが重要である。知者を定義することは難しいが、聖書の主張によると、本当の知者とは、神がこの世界の主であることを知り、その中ですべてのものを位置づけている人である。
『はじめ』には出発点という意味と、本質という意味の両方がある。従ってこの聖句が教えようとしているのは、主を畏れることが知恵の出発点であり、すべての知恵の本質であるということである。
キリスト教精神は神が価値あるものとして人間を創造し、価値あるものとして生かし、信じる者に永遠の命を与えられるという聖書の教えに基礎を置く。本学院が目指す全人教育とは人間を身体的、精神的、社会的、霊的存在としてとらえ、その存在様式のすべてに配慮し、スクールモットーに即してなされる教育である。学院は幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院から成り、それぞれの場で提供される教育の内容は、学ぶ者の年齢や背景によって異なってはいるけれども、『キリスト教精神を基礎とする全人教育』により、スクールモットーの実現を目指すという点で、学院全体に共通する。」

少し表現は固いという印象がありますが、スクールモットーの説明文としては、本質を突いたよいものができたと思っています。
次に取り組んだのが大学の教育方針を表すスローガン作りでした。これもチームを組み、専門家にも相談し、一年がかりで検討し、「強く、優しく。」と決めました。
「強く」は、実社会において、主体性をもってものごとを推し進める強さ、意志を通す強さ、目標を達成するための知識と技術のことです。「優しく」は、他人をいたわり思いやる優しさ、コミュニケーション能力、他者を認める寛容さや謙虚さを意味します。キリスト教を基盤として、このような「強く、優しい」女性の育成を目指し、このスローガンを共通理解として教育の実践に生かしていきたいと考えました。
学長職三年めの二〇〇七年に前任の学院長が定年退職され、私は学長と学院長を兼任することになりました。学長時代は大学のことを中心に考えていればよかったのですが、学院長になると、大学に加えて、幼稚園、中学、高校の責任も取ることになります。さらに全国に八万人以上の卒業生がおられ、十七の支部がある同窓会の名誉会長という結構忙しい仕事もあります。その支部大会には学院長として出席し、学院の近況報告をしなければなりません。三月、四月、入学、卒業のシーズンにはそれぞれ祝辞を述べる役割があり、毎年十二回、お祝いの言葉を述べました。
兼任には「大変感」を感じました。しかし、例によって、「主にある気楽さ」(説教者・作家ノーマン・ヴィンセント・ピールの言葉)で、何とかなるだろうと兼務をスタートし、結局五年間、学長と学院長を兼務しました。