特集 聖書を読むということ 全生活をディボーションに

カンバーランド長老教会 海老名シオンの丘教会 牧師 玉井幸男

牧師になって十年間、自分にできることならば、必要のすべてに応えることが当たり前だと思っていた私は、忙しくても身体の疲れを意識することは滅多にありませんでした。けれどその歩みに突然ストップがかけられました。顔面神経麻痺を発症、入院生活を余儀なくされ、そこで初めて心身ともに空っぽになり疲れ果てている自分に気づきました。癒やされる必要がありました。

回復の途上で、研修と休養のためにハワイに導かれ、牧師のための研修会に参加したときに、神様との関係が新たにされる経験をしました。①生活のペースを神様のみことばに合わせること、②運動と休養と仕事のバランスを健全に保つこと、③ともにおられる神様の存在をより深く味わうことなど、具体的なたくさんの調和のとれた生活へのヒントが与えられました。回復のための道のりは、まさにディボーション(献身)こそが鍵でした。全生活が、神様とともに過ごす「ディボーション」なのです。「家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも……それ(みことば)を唱えるように」(申命記11・19)神様の臨在はいつもそばにあるのです。その恵みに気づくことなのです。

聖書を開き祈る「一定の時間」だけがディボーションなのではありません。みことばを読むときも、手の業をするときも、神様の前で憩いながら。私たちの生涯を私たちの手で回さず、共にいてくださる愛情深い神様と語り合い、ともに歩むとき、その生活に安らぎが与えられていくでしょう。仕事が山積みでも、焦らなくても、心配しなくてもいいのです。祈りの中で神様が整理してくださるのです。委ねることと、やるべきこと、生活のすべてを。
神様の臨在とともに新しい一年を。