連載 しあわせな看取り 果樹園の丘の訪問介護ステーション 第18回 地域で暮らす

岸本みくに

肺がんのAさんが四年間の闘病生活を終えてご自宅で亡くなられました。退院して六か月ほどの在宅生活でした。
がんの診断を受けたきっかけは仕事中の転倒骨折でした。そのときのレントゲンで骨に転移が見つかり、原発は肺であることが分かりました。札幌の病院で化学療法や放射線治療を受けましたが、腹膜炎で人工肛門をつけることにもなり、何度か危険な状態を乗り切ってこられましたが、体力的にこれ以上の抗がん剤治療は難しいという状態になりました。

奥様は人工肛門をつけたAさんを自宅で看る自信はないと言っておられましたが、看護師である札幌の娘さんの協力が得られるということで、自宅での介護と看取りを決意されました。
Aさんは余市で生まれ育った漁師です。先代からここに住んでおられたので、家には表札がありません。表札がなくても郵便も宅急便もちゃんと届くのです。Aさんのご家族は介護ベッドを仏間の窓際に置きました。この窓は通りに面していて、Aさんは寝ながらにして近所のようすを見ることができるのです。
近所の人が通るたびに窓をのぞいては「父さん元気かい?」と声をかけてくれます。そしてしばらく窓越しに雑談をして過ごすのです。ご近所だけでなく、お孫さんたちも休みのたびにやってきて、やたらと訪問客の多いお宅でした。Aさんの開けっ広げな性格が人を引き付けるのでしょう。酒豪のAさんの武勇伝は近所でも有名で、私たちも訪問の度にその話を聞かされて、お腹を抱えて笑ったものです。

後日、レストハウスで開いた「在宅での看取り」の講演会のとき、看護師である娘さんは、家族の体験としてお父さんの看取りを次のように話されました。

「医療従事者として、私は多数の患者様とかかわってきましたが、皆さん『最期は自宅で』と願っても叶わずに亡くなられる方がほとんどです。死を前にして、特に夜になりますと精神的な不安を訴えられる方がいらっしゃいます。夜間は看護職員の数もとても少なく、十分にお話を聞くことや体をさすってあげることもままならず、対応しきれない場面が多々ありました。私自身ももうちょっと患者様のそばにいてあげたいなと思っても叶わず、つらい体験をしてきました。そのような経験上、家族に何かあった場合は自宅で介護してあげたいと思っていました。
家に帰ってからの父は大好きなビールを飲み、孫が休みのたびにドライブに連れていってもらい、毎日のように訪ねてくれる漁師仲間や友人に囲まれて楽しく過ごせました。徐々に寝ている時間が長くなり、食欲も一段となくなりましたが、それでもつらいとは口にせず、最後まで自分で排尿をしようとします。頑張っている父のそんな姿を見て涙することもありましたが、最期はみんなが集まってきている中、静かに息を引き取りました。そして、家族みんなで父の体をきれいにし、髪をとかし、髭も剃って送り出すことができました。こういう経験は病院にいては絶対できないことで、自宅で介護をしたからできたのではないかと思い、家族で看取れて本当によかったと思います。
病棟の看護師である私の知らなかったことですが、在宅で看るということは、家族のきずなを深め、家族皆で支えてあげることなんだということを体験的に知りました。ですから、少しでも多くの方に在宅介護という選択肢もあるんだということを知っていただきたいと思います。」