連載 ふり返る祈り 第14回 沈黙の言葉

主よ。私の口に見張りを置き、
私のくちびるの戸を守ってください。
詩篇141篇3節

斉藤 善樹(さいとう・よしき)
自分は本物のクリスチャンではないのではないかといつも悩んできた三代目の牧師。
最近ようやく祈りの大切さが分かってきた未熟者。なのに東京聖書学院教授、同学院教会、下山口キリスト教会牧師。

神様、静かに沈黙していると、普段いかに自分が必要のないことをしゃべっているかが分かります。また人の話を聞くよりも自分のことを分かってもらいたいという願望がいかに強いかが分かります。主よ、沈黙の中でさらにあなたの御心を知ることができますように。人の歓心を得るためではなく、あなたの喜ばれる言葉を発することができますように。それによって私の喜びが満たされますように。

「雄弁は銀、沈黙は金」という格言があります。雄弁さはとても有益なこと、だが黙るべき時を知るのはもっと大切だという意味だそうです。現代社会では自分を主張することの重要さがよく説かれますが、沈黙の大切さというのも日本人は昔から知っていました。聖書はそれ以前から、神様のことを知るうえでの沈黙の重要性を教えています。
私は最近、半ば強制的に沈黙を守らなければならない状況に置かれました。のどの声帯にポリープができて、それを切除する手術を受けたからです。春の季節に風邪をひいて三日ほど寝込みましたが、風邪が治っても風邪声のようなかすれた声がなかなか元に戻らないのです。三か月たっても改善されないので、医者に診てもらったところ、ポリープがあることが分かりました。そのせいで発声がうまくいっていなかったのです。手術そのものは短時間で終わりましたが、術後の一週間は全く声を出さないように、せき払いもできるだけしないようにと言われました。それを「沈黙療法」と呼ぶのだそうです。

手術の翌日、退院した私はその足でホームセンターに行き、筆談のために小型のホワイトボードを買ってきました。しゃべれないというのは思った以上に難儀でした。自分はそれほどおしゃべりなほうではないと思っていましたが、人と生活していくうえで、全く声を発することができないというのは不便であり、ストレスでした。筆談も悪くありませんが、時間がかかるので会話を中断してもらわなければなりません。書き終わる頃にはもう話題が変わっていて、意味がなくなっていることもありました。
けれども、沈黙療法の中で一つ一つの言葉の重みというものを感じました。筆談は一度にたくさん書けませんから、言葉を吟味し選ばなければなりません。本当に必要なことを最小限に書くのです。そうすると普段、自分はあまり意味のないことも結構しゃべっていたのが分かってきました。単に沈黙の間を埋めるため、人の歓心を得るためだけの言葉がいかに多かったか。意味のないうわさ話がいかに多かったか。雑談が必要ないということではありません。雑談は時にとても有益です。けれども私たちの口は益のない、むしろ有害な言葉を発することも少なくないのです。

私は、洗礼者ヨハネの誕生の際の父親ザカリヤのことを思い出しました(ルカ1・8?23)。ザカリヤ夫婦はすでに老いていましたが、男の子を身ごもることを御使いによって伝えられます。喜ばしいことでしたが、ザカリヤは信じられませんでした。それで彼は神によって、子どもが生まれるまで口がきけなくなります。ザカリヤはまるまる九か月間しゃべれなかったのです! 本人だけでなく、妻のエリサベツにとっても大きなストレスだったのに違いありません。超高齢出産であって何かと助けが必要な時に、夫婦の会話が思うようにできないのです。聖書には、その時エリサベツを訪れたマリヤが三か月間、彼らの家に滞在したことが書かれていますが、マリヤは彼らの大きな助けになったことでしょう。
いよいよ男の子が生まれ、名前をつける段になって、親戚たちは当時の習慣にならって父親の名にちなみ「ザカリヤ」とつけようとします。けれどもエリサベツは、それに反対して「ヨハネ」でなければならないと言いました。ザカリヤに確かめると、彼は書板を持ってこさせて一言「その名はヨハネ」と書いたのです(ルカ1・57?64)。彼は本当に必要なことを妻に伝えており、夫婦の心は一致していたのです。
ふだん、私たちは不必要なことを語っている割には、必要なことを語っていないのかもしれません。大切なことを夫婦で話していない、親子で話していない、友人同士で話していない、信徒同士で話していない、牧師と信徒が話していない。たくさんしゃべっているようで肝心なことを伝えていない。相手の心の大事な部分に触れていない。相手にとって本当に必要な言葉を語っていない。そんな私たちであるかもしれません。どうか沈黙によって私の言葉が磨かれ、不純なものが取り除かれますように。