自然エネルギーが地球を救う 第8回 エネルギー問題の先見者 内村鑑三

足利工業大学理事長
牛山 泉

内村鑑三のことを知らない人は少ないであろうし、その著書を読まれた方も多いはずである。一八六一年(文久一)に生まれ、新渡戸稲造と共に札幌農学校に学び、その間にクリスチャンとなった。米国留学後、伝道生活に入り、『余は如何にして基督信徒となりし乎』(原文は英語)など多くの著書を著している。
また、足尾銅山鉱毒事件では古河財閥を糾弾し、日露戦争では反戦論を唱えている。独自の聖書研究に基づく信仰「無教会主義」を唱え、明治、大正期のキリスト教の代表的指導者となった。

その内村に『デンマルク国の話』(岩波文庫)という講演録がある。これは一八六〇年代のプロイセンとの戦いで、国土の三分の一、しかも最も豊饒な南のシュレスウィッヒとホルシュタインの二州を住民ごと割譲させられ、人口も二五〇万人から一八〇万人に激減するという絶望の果てから、世界最高の福祉国を作る基となった、ダルガス父子の植林活動を紹介したものである。
内村は、「良き宗教、良き道徳、良き精神」さえあれば、国の危機は好機になりうる、国民は不運を幸運に転じることができると論じているのである。注目すべきは、その末尾にある以下の文章である。

「デンマークの話は、私どもに何を教えますか。第一に敗戦かならずしも不幸にあらざることを教えます。〔中略〕第二に天然の無限的生産力を示します。〔中略〕大陸の主かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして歎くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります。海の波濤にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然り、それより小なる国で足ります。外に拡がらんとするよりは内を開発すべきであります。第三に信仰の実力を示しています。国の実力は軍隊ではありません……」

つまり、外なる有限ではなく、内なる無限に目を向けよと訴えているのだ。ここには、現在の太陽光、波、風、地熱が挙げられているが、本文では木質バイオマスである植林について述べており、さらに酪農国のデンマークは畜産廃棄物としてのバイオマスも十分にある。
では、国土面積がデンマークの八倍もある日本はどうであろうか。降雨量がデンマークのほぼ二倍であり、国土の七割が山岳丘陵地であるから、上記に加えて水力も十分利用可能であり、わが国の地熱のポテンシャルは世界第三位である。排他的経済水域は世界の六位であり、洋上風力発電や潮流発電も期待できる。日本は自然エネルギー王国なのである。
内村のアドバイスに従うなら、福島の原発事故は日本ばかりでなく全世界の好機になりうるわけであり、魂の安らぎを備えるテクノロジーへの転換のチャンスとなるのだ。日本では第二次世界大戦の敗戦後から、しばらくの間は小学校の国語教科書などに、内村の『デンマルク国の話』の児童版が掲載されていたが、一九六〇年代の「戦後は終わった」という言葉と共になくなり、アメリカ型の資源エネルギーの多消費型に変わったのである。

内村は、明治期にnatureを「自然」とするか「天然」とするかの論争があったとき、これは天からの恵みであるから天然とすべきである、自然は自ずから成るということで傲慢であるから不適当であると述べている。「私が顧みる人はこれである。すなわち、遜って心悔い、わが言葉に恐れおののく者である」(イザヤ書六六章二節)とあるが、私たちも、天から与えられたエネルギーを恵みとしていただくという謙虚な姿勢が必要なのである。
この講演がなされた時代は、日清戦争に勝利して、さらに日露戦争に向かおうとしているときであり、内村の言葉は「外に向かって戦ってはならない」という警告でもある。この警告を無視してなされたのが、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦であり、いずれもエネルギー資源を奪い合う悲惨な戦いであった。